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2025/09/02(火) 適材適所 by ぱぱ

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   先日、栃木県足柄市の「ココファーム&ワイナリー」という、ワインの醸造所に行き、とっても美味しいワインとお食事をいただきました。今回は、このワイナリーのお話をしたいと思います。  昭和30年代に、川田 曻さんという、中学校の特殊学級の先生が、当時の生徒たちと開墾した急斜面のぶどう畑が、ワイナリーのもとになっているそうで、平均斜度38度のこの葡萄畑は、陽あたりや水はけがよく、葡萄にとっては最良の条件なんだそうです。  しかし、斜度38度ということは、耕運機やトラクターが使えず、人間の足で登り降りするしかないことを意味します。剪定後の枝拾いや、堆肥の運び上げ、一房一房の摘房、そして、収穫した葡萄のコンテナ運び…。全ての作業が、自然の中での労働を通して、自らの力をつけ、その力をもとに、自然の恵みを引き出していくということでもありました。  そんな毎日の暮らしの中で、知的障害のある少年たちは、長い時間をかけて、知らず知らずのうちに、寡黙で実直な農夫に、陽に灼けた葡萄畑の頼もしい守護人に、醸造場のかけがえのない働き手になっていきました。  そのような方々が属する組織は、現在、「こころみ学園」という学校になっています。学園生は、100名以上ということで、ほとんどの方が、最重度のハンディキャップを持ち、約半数の方々が、高齢者ということでした。重い障害を持ちながら、また、高齢のために車椅子で過ごしながら、みんなが、何らかのかたちで、ワイン作りに携わっているそうです。  「ココファーム&ワイナリー」は、伝統や名声を誇る外国のシャトーのように、潤沢な資金を持つことができません。大手のワインメーカーのように、大量生産することもできません。 しかし、葡萄を育て、ワインを醸す仕事に、自分の名前さえ書けないような人たちが取り組んできたことを、どんなに辛くても、一年中空の下で、がんばってきた農夫たちがいることを、ひそかな誇りに思っていると思います。  学園生一人ひとりに、それぞれの能力に応じた仕事を見つけ、従事していただく、たとえ、それが草取りや、石拾いや、カラス追いであったとしても、その仕事をしながら、自然に囲まれながら、安心して年をとっていけたらいい、そんな願いも込められているとのことでした。  オールマイティを求められて、それに応えようと必死にもがいたものの、結局、苦しいだけで...

2025/07/30(水) 怪談つくり by ぱぱ

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  ままさん(園長)と子どもたちのやり取りの中から、素敵な作品が生まれましたので、お伝えします。  ある日のSくん、「ねえ、ままさん、こわ~い おはなし、して~」  ままさんが、「いいよ。むか~し、むか~し…」と、抑揚をつけて、ゆっくり語り出すと、Sくんは、応答するかのように、「あかい ようふくの~…」と、語り始めたのでした。  ままさんが、間に入って書き取ったのが、(1)の作品です。 (1) 赤い洋服の、髪の毛が真っ黒な女の子、目も真っ黒で、目から、ちょっと血が垂れている…。  その家に行くと、床に本が、たくさん落ちていて、その本を、ひろって読んでしまうと、呪われてしまう…。  そして、その家から、出られなくなってしまうのだった…。  ままさんに喜ばれて、気をよくした、才能あふれる、Sくんは、続けて… (2) 名前のない、お化けが、四角の世界で、子どもたちを追いかけている…。  捕まると、その場で食べられてしまう…。  すると、子どもたちは、おしっこになって、よみがえり、おしっこ人間となる。  おしっこ人間になった、子どもたちは、武器を持ち、他の子どもたちを仲間にして、全てを壊し、元の世界に戻ることができた。  これは、おしっこをしたくて、目が覚めた時の夢のおはなし、気がつくと、おしっこが漏れていた…。  その様子を、面白いと感じた、Oくん、Iくん、Yくん、Kくんは、感化されて… (3) プリンセスと、王子さまが、キスをした。王子さまは、プリンセスに、指輪をあげた。  すると、プリンセスは、裸になった。そして、警察の服に着替えた。  王子さまも、裸になった。そして、泥棒の服に着替えた。  泥棒の王子は、逃げたが、警察のプリンセスは、泥棒を捕まえて、逮捕した。  そして、二人で、幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし。  素晴らしい才能を感じずには、いられませんね。その突拍子もない展開は、大人では、到底、考えつくことが、できないんじゃないかと思います。  (2)と(3)は、いわゆる「落ち」があり、(3)は、やや強引というか、常套句的な結末では、ありますが…。  (2)は、実際に、Sくんが夢で見た経験が、ベースとなっているに違いありません。いわゆる、自伝的怪談ですね。  これらこそ、クリエイティブな遊びと、いえるのではないかと思いました。  ちなみに、冒頭...

2025/06/30(月) 無邪気な子ども by ぱぱ

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  2025/6/26の朝日新聞朝刊のコラム「折々のことば」からです。  反田恭平さんは、1994年9月1日に生まれた、ピアニスト兼指揮者の方です。2012年、高校在学中に、日本音楽コンクールで第1位に入賞後、2021年10月、第18回ショパン国際ピアノコンクールで、なんと、日本人として51年ぶりに第2位に輝いたのだそうです。  そんな、天才反田恭平さんの本質を見事についた、先生の言葉が、「折々のことば」に載っていました。 「あなたの本当の核は無邪気な子どもでしょう。童心に帰ってピアノを弾いてみなさい」 「失敗してもやり直せる、だから縮こまるな、自分を偽るな」  この言葉が、天才を生んだのですね。  さくらそう保育園の子どもたちは、実に無邪気です。まあ、日々、失敗を気にせず、繰り返しているようですが、よく見ると…。つくる天才、かく天才、うたう天才、うごく天才、しゃべる天才、見てる天才etc…。いろんな才能が、在籍しているように思います。  そのまんま大人になれれば、どんなに楽しい未来になることでしょう。その点、我々、平凡な大人は、いけませんね。「戦争も、やむを得ない、原発も、やむを得ない」なんて言い出したりして…。

2025/05/14(水) 小学校1・2年生の通知表の廃止 by ぱぱ

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2025年5月13日(火)の朝日新聞朝刊の天声人語を紹介します。      岐阜県美濃市の小学校では、1年生と2年生の通知表が、廃止されることになったそうです。子どもの学習状況や生活の様子を評価する通知表ですが、それがあることによって、劣等感を感じて自信や意欲を失ったり、仲間関係に序列ができたりしないようにすることが、大きな目的のようです。この記事によると、5年前に、神奈川県の小学校でも、同様の取り組みがあったことが記されています。  東海テレビは、その取材で、「特に、保育園や幼稚園から小学校に上がったばかりの子どもたちに、勉強への苦手意識や劣等感を抱かせないようにする狙いがある。」と述べています。また、東海テレビは、1・2年生の保護者にインタビューした結果を、「1・2年生のうちは、元気に学校に行ってくれれば、それでいいと思う。また、一生懸命やっているのであれば、それが、その子のやり方なので、成績で評価してもらわなくても、それで十分だと思う。」としています。勿論、賛否両論あるようです。  注目したいのは、この取り組みが、あくまでも、小学校1・2年生に限定したものであるということでしょう。保育園や幼稚園で、のびのびと育ってきた子どもが、小学校1年生になったとたんに、勉強をさせられているような感覚になり、さらに、そこに評価が加わることで、劣等感や優越感を抱くことになり、序列化につながってしまいます。そうなると、学校への不適合を起こす子どもたちも、出てきてしまいます。低学年については、「通知表で評価することに、そこまでの意味は、ないのではないか?」と問う取り組みなんだと思います。  保育園や幼稚園の年長児と、小学校1・2年生の児童との、かけ橋の問題とも言えますね。私は、かつて、「年長児は、できるだけ早く、1年生化することが望ましい」という空気を感じていました。でも、今は、「小学校1・2年生の児童を、年長児に合わせていく」という方向で考えてくれているようです。これには、私も、大賛成です。私は、「このような取り組みが、全国で行われるようになればいいな」と思っています。  「のんびりいこうよ」  

2025/04/22(火) 不合理なことには距離を

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 毎度で恐縮ですが、2025年3月12日の朝日新聞朝刊から、ご紹介します。  我が子が、はじめて言葉を話した日から、はじめて嘘をついた日までの記録。精神科医、翻訳家の阿部 大樹さんの新著「now loading」(作品社)は、そんな区切りを設けて、つづられた育児日記です。 「言葉で、やりとりが、できるようになると、書き記すこともできる」とスタート地点を決め、「真実だけではなく、うそについても、言葉で語れるようになった時、子どもは、うそのある世界、すなわち、大人と同じ世界に入って、生き始める」、「そこを終わりとしてみよう。」と思ったそうです。さすが精神科医、この切り取り方は、とてもシャープですね。阿部さんは、「うそのある世界は、大人の世界」と定義付けました。確かに、私たち大人は、人を利用したり、虚勢を張ったり、秘密保持を目的としたりして、うそをつきます。また時には、人に対して、相手を傷つけないように、おもんぱかる配慮の結果として、うそをつきます。結局、あとでばれて、気まずい思いを体験するのですが…。「はじめてのうそは、いつ?」というのは、とても興味深いテーマだと思います。  阿部さんのお子さんが、2023年1月29日、1歳3カ月で、初めてしゃべったのは、「バイバイ」という言葉でした。そして、同じ年の12月20日、おもちゃを探していたお子さんが、実際にはあるのに、「なかった!」と、うそをついたのです。それは、2歳2カ月になった時でした。「語彙が増えて、文法を習得してから、うそをつく」と思っていたので、「早いなあ。」と感じたそうです。  その11か月の間に、「ある」より「ない」を、「わかる」より「わからない」を先に覚え、何かにつけて「やだ」と拒否するようになったのです。阿部さんは、「大きくなったら、不合理なことには距離を置ける、自由な人になってほしい」と考え、物事を否定する我が子を肯定し、エールを送っています。  幸いなことに、さくらそう保育園の園児さんは、みんな「やだ」の天才なので、「不合理なことには距離を置く、自由な人」だと断言できます。保育士さんが、「給食だから、お部屋に入ってください。」と言っても、軽く一蹴して、「やだぁ!」 でも、私が、「じゃあ、○○ちゃんの給食、ぱぱさんが食べちゃおうかなあ。」と言うと、「やだ~。」と言いながら、お部屋に走っていきます。...

2025/03/13(木) すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる by ぱぱ

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  朝日新聞2025年3月8日(土)の夕刊から切り抜きました。「大学では、どんな学部が人気なのか」という疑問に対して、「『就職に有利にはたらき、すぐに役に立つ学部』を選ぶ傾向にある」と筆者は分析しています。面白かったのは、文系でも、学部や学科名に「情報○○」と付くと、受験生が集まりやすい傾向にあるとのこと。うまいこと言いますね。しかし、年を重ねると、当時は就職に役に立たないと思っていた、哲学や心理学、文学などを学ぶことに、意義を感じるとの記事でした。  同じ日のTBSラジオの番組で、話題になっていたことです。ある役者が、言っていました。「役者は、台本を記憶する能力が、極めて高いのです。役になりきるために、どんなに難しい専門用語も、すぐに記憶できます。しかし、演じ終えると、すぐに忘れてしまうのです。不思議なくらい、忘れるのが早い。そして、また次のお役の台本を覚えるのです。」 「すぐに役に立つ」ことのために、私たちは、日々、努力奮闘しているように感じます。日々の保育はさておき、その記録も、役所や業者とのやりとりも、監査で求められる書類の作成も、言わば「すぐに役に立つ」ことです。この作業のために、私たちは、どれだけの時間と労力を注いでいることでしょう。ところが、血と汗と涙の結晶である、これらの書類も、所定の期間が過ぎると、逆に、破棄しなければならないことになっているのです。「すぐに役に立たなくなる」のですね。 「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」、冒頭の朝日新聞記者の指摘は、「けだし名言ではないか!」と感動を覚えました。  話変わって、当園が掲げている、「自由保育の中で、主体性と思いやりを育む」という保育方針は、「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」の真逆だと思います。主体性と思いやりは、一朝一夕で獲得できるものではありません。日々の活動の中で、トライ&エラーを繰り返しながら、保育士の援助や、お友だちとのやり取りを通して、少しずつ、少しずつ、お子さまの中にしみこんでいくものです。もちろん、それだけでは成就しません。ご家庭や地域の力だって、欠かせないのです。  大人は、年を重ねると、当時は就職に役に立たないと思っていた、哲学や心理学、文学などを学ぶことに、意義を感じるということですが、保育園では、遊びの中で、人間の営みの根底にある、哲学や心理学...

2025/02/14(金) たくみな話術 by ぱぱ

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  ある日の夕方、2階さん(2~3歳児クラス)のFちゃんがやって来て、 「ぶらんぶらんしたい。」 「ちょっとだけやって」  私(ぱぱさん)の、両手の人差し指を鉄棒に見立てて、その人差し指にぶら下がってみたいと言うのです。私は、「Fちゃん、重くて、こりゃ大変」と思いましたが、「ちょっとだけやって」の言い方が、本当に申し訳なさそうなニュアンスだったので、「そこまで言うなら」と私は思い、「いいよ」  10秒間くらいでしょうか、両手の人差し指にかかるFちゃんの全体重を、歯を食いしばって支えました。  10秒後、Fちゃんを降ろすと、Fちゃんは、 「もういっかいやって~」  その言葉には、「とっても楽しかったです。もしも許されるのなら、もう一度だけ体験させていただけませんか。無理ならかまいません。」といった思いが宿っているように、思われましたので、私は「いいよ」と、今度は5秒で限界となってしまいましたが、彼女の思いを叶えて差し上げました。  するとFちゃん、今度は畳みかける口調になって、 「ず~っとやって」  最後の言葉は、「しめしめ」感100%でした。私は彼女に一本取られたのでした。  言い方のニュアンスは抜きにしたとしても、 「ちょっとだけやって」 「もういっかいやって~」 「ず~っとやって」  何て無駄のない、巧妙な言い回しなのでしょうか! まるでコピーライターが頭をひねって、何度も何度も推こうして、こしらえたキャッチフレーズのようです。  最初から、「たくさん、やってもらいたい」と言うと、断られることは分かっているので、そのことは隠しつつ、最初は少しだけ、仮に許されたのなら、二度目はもう少し風穴を開けて、それも突破出来たら、三度目は本心を! 「秘技、要求三段活用だぁ!」そんな風に組み立てているような気がしました。  なんて天才なのでしょう。未来が楽しみです。