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2023/02/01(水) わがままに生きる (ぱぱさん)

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 午前中、2歳児クラスの女の子が、保育園の2階に続く階段の手前で転び、こともあろうか階段の段差に小さな口をぶつけて出血してしまいました。どうやら、上着の襟に首だけ通して、袖には腕を通していない状態を楽しんでいたようです。それでは、バランスを崩したときに咄嗟に手を出せませんから、怪我になるのも当然でしょう。痛みと出血でしばらく泣いた後、疲れて眠ってしまいました。  さあこの女の子、小一時間ほど眠って目が覚めてからは、わがまま放題でした。「抱っこしてくれないと発狂しちゃうぞ!」、「口の中に溜まるよだれを吸い取るために、湯水のようにティッシュを使わせてくれないと怒っちゃうぞ!」、「心配して集まってくるお友だちなんかいらない、少しでも近寄って来ると威嚇しちゃうぞ!」等々...。我が身に降りかかる痛みと不安を、わがままに振舞うことで、解消しようとしているようでした。  あるいは、普段はそんな行動は許されないけれど、病気やケガの時だけは思いっきりわがままできる、そのことを実践しているようにも見えました...。想像通り、彼女は2時間たっぷり「わがまま」を楽しんだ後で機嫌を取り戻し、お友だちの世界に戻っていきました。  さて、こちらは朝日新聞2023年1月4日朝刊の「声」からの切り抜きです。「気遣いの人生だった」、「自分の思いをはっきり言うのはワガママだと考え、相手を優先することが多かった」、「我慢して言い返さないのが常だった」、「もう少しわがままに生きてもよいのではとずっと思ってきた」、「40歳と50歳の節目に変わろうと頑張ってみたが、まだ若くて難しかった」、「そして60歳、おばあちゃんの仲間入りでもあるし、わがままも許されるのではないか」、「トラブルになっても、心のままに生きた結果なら仕方がない。頑張れ!私!」  人は、幼い時と還暦過ぎてからは、「わがまま」に生きる特権が与えられるのではないかと思います。実は私、ぱぱさんも、今年還暦です。心のままに生きた結果なら仕方がない。頑張れ!私!

2023/01/04(水) ボーッとできる (ぱぱさん)

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 以前、ぱぱさんは、「本当の生き方」というのは、生きていることの意味を自覚し、悔いのないように生きることと思っていました。己に与えられたミッションに気づき、そのために自分の人生を上手に使うことが「生き方」だと信じていました。  けれども、近頃は、「そんなことは、あんまり問題じゃないのかなあ?」と思うようになってきました。「ただ生きているだけ、呼吸しているだけで、いいんじゃないかなあ。」実は、もうすぐ還暦を迎える私ですが、振り返ってみると、ところどころジタバタしたかもしれませんが、ただ生きているだけだったなあ、大したことはしてないなあ、というのが実感なのです。  さて、保育園の3階の4・5歳児クラスに足を踏み入れてみます。まあ、にぎやかなこと!それぞれの遊びに没頭している、元気いっぱいの姿があります。活動的なタイプのお子さんが多いなか、一人ひとりを見てみると、活動的でないお子さまの姿も見つけることができます。もちろん、お友だちの遊びを見て、頭の中で動いているときもあるでしょうし、なにかのイメージを膨らましているときもあるでしょう。でも、ただ単にボーッとしているときもあるようです。  提案します。ボーッとできる環境を、大切なものと位置づけたいと思います。人は、何かをしなくても愛されているし、愛されるために存在しているのです。お腹の中にいる時であろうと、子どもであろうと、大人であろうと、お年寄りであろうと、認知症を患って自分が何者であるかわからなくなっても、あるいは、意識を失ってしまっても、「その人は、愛されるために存在しているのではないか?」と感じるこの頃です。  ボーッとできることと、平和であるということは、同じことなのではないでしょうか?