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2023/11/01(水) [3年かけて…]

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 Bちゃんは、0歳児クラスに入園してきた女の子です。春生まれで、夏から入園したので、すでに満1歳になっていました。  月齢が高かったこともあってか、入ったばかりの頃から落ち着いていて、身の回りのことも上手にできていました。また、お友だちとのトラブルもなく、泣いたり怒ったりするようなことも、ほとんどありませんでした。  たとえば、はしゃいだお友だちが、ぶつかってしまっても、感情的になるようなことはなく、次はぶつからないように、そっとその場を離れる…、自分が使っているおもちゃを取られてしまっても、ケンカをしてまで取り返すようなことはせず、他のおもちゃをさがす等…、自分が一歩引くことで、おだやかに対応することを選んでいるようでした。  1歳児クラスになると、少しずつ、Bちゃんの声を聞くことが、できるようになってきました。Bちゃんは、お話も上手で、実は、たくさん、おしゃべりしてくれていたのです。  「使ってる…」、「あっち行って…」等、怒鳴らないどころか、耳をすまさないと聞こえないくらい、ひかえめな声でしたが、ちゃんと自分の思いを言葉にしてくれていました。  そして、Bちゃんが、2歳児クラスになった今年度は、さらにしっかりと、自分の思いで行動するようになりました。  独り言のように、ひかえめだった言葉も、相手や、まわりに、ちゃんと伝わるくらい、ハキハキとした大きな声で、話してくれます。また、小さいお友だちが、あぶないことをしていたりすると、やさしく教えてくれたりもします。  そんな中で、個人的に、一番うれしかったのが、抱っこを求めてくるようになったことでした。  それまでは、すべて自分で解決しようとしているかのごとく、スタッフに甘えるようなしぐさは、ほとんど見られませんでした。  それが、自分から抱っこをせがんだり、他のお友だちにまざって、スタッフにちょっかいを出してみたりして、自分の欲求を、素直に伝えてくれるようになったのです。  ただ、Bちゃんの園での様子を振り返ると、心を開いてくれたことを喜ぶとともに、「ここまで来るのに、3年もかかってしまった…」という思いもあります。  それは、「もう少し、深くかかわれていたら、もっと早く、安心してもらえたのでは…」という後悔でもあります。  保育園では、たくさんの子どもたちが、集団で過ごしています。そして、その中には、まだ小さくて

あとでかしてね(ポエム・散文シリーズ)

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 「あとでかしてね」 それは、相手にゆずることば、 けんかを回避することば、 過去、現在、未来に気づいたことば、 平和のことば、 見えないものを見ようとすることば、 信じようとする言葉、 「あとでかしてね」

2023/10/02(月) [どこでもバリア] (座談会シリーズ #6)

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 (前回からのつづきです) (なお)  今、4・5歳児クラスでは、泥棒と警察、通称「ドロケイ」という追いかけっこが流行っています。最初は、泥棒役が逃げ疲れた時の救済措置として、「体操マットの上限定で、『バリア』を使って休むことができる」というルールを作りました。ところが、今は、警察役に追いつめられると、あらゆる場所で、「どこでもバリア!」と言って、体の前で両腕をバッテンにするポーズをとるようになったのです。その「どこでもバリア!」が出ると、警察役は泥棒役を捕まえることができません。そんな理不尽なルールが、横行してしまったのです。 (ぱぱ)  当然、警察役からは文句が出るでしょう? (なお)  ところが、4歳組のA君は、「どこでもバリア!」が出ると、素直に受け止めて、違う泥棒を追いかけようとするのです。 (ぱぱ)  それはまあ、素直というか、お人良しというか…。状況が見えていないからこそ、とも言えますね。 (なお)  一方、5歳組のB君の場合は、理不尽だと分かったので、長い間、大号泣が続きました。その声があまりにも大きいので、ドロケイは一時中止に追い込まれました。B君の気持ちもわかるし、早く再開したいという、お友だちたちの思いも大事にしたいし、頭を悩ませているわけです。 (ぱぱ)  B君が泥棒役になった時も、「どこでもバリア!」を使いますか? (なお)  最初は使わなかったんですが、そのうちに「どこでもバリア!」を使うようになってきたのです。警察役から見れば、言語道断のルールですが、泥棒役から見れば、なんともおいしい蜜の味ということが分かってきたようですね。あの大号泣も、過去の話になりました。個人的には、大泣きしてたB君が愛おしいです。 (ぱぱ)  そうやって、「立場の違いによる、受け止め方の違い」に気づき、視野が広がっていくのですね。相手の思いが理解できるというのは、すごい学びだと思います。一方、あの大号泣のような魂の激震は、相手の思いが理解できることと引き換えに、少なくなっていくのでしょうね。そこに、一抹の寂しさは覚えますが、「育つ」とは、そういうことなのでしょう。 (なお)  そうですね…。3階では、そのようなできごとが、ドロケイ中、多発的に起こるので、奮闘する日々です。今は、一時中止になるお子さんたちへの対応として、できれば、ゲームを邪魔しない場所に移動しても