2024/08/01(木) [実験]
ある日の午前中、年長さんの女の子が、顔の眉間部分に横筋一本、鼻の一番高いところに横筋一本、計二本の傷をつけてしまい、その痛みで涙を流していました。なんで、そんなところに、傷をつけてしまったのか、保育士が尋ねたところ、「目をつぶって歩いていたら、ぶつかった」と言うことでした。 ぶつかった場所は、テラスの手すりのアルミ枠ということでした。検証したところ、女の子の二本の傷痕と、アルミ枠の位置が、高さも間隔もドンピシャで、ここでケガをしたことが判明しました。 ところで、この女の子は、なぜ、こんな行動に出たのでしょうか? 「アルミ枠にぶつかると痛い」ということは、年長さん(5歳児クラス)であれば、今までの経験で、十分に分かっているはずです。いったい、何が、彼女の判断を、狂わせてしまったのでしょうか? その時、私は、昔、担任をしていた、あるお子さんを思い出しました。そのお子さんは、保育中に高いところから飛び降りて、足をくじいてしまったのです。その時の言い分が、「目をつぶれば、痛くないかなぁと考えたけど、(飛んでみたら)痛かった」というものでした。 この二人の思考の共通点として、「見えるものが『有』であると仮定すれば、見えなければ『無』なのではないか?」という考えがあるように思いました。そのため、「目をつぶることで見えなくなれば、実態もなくなり、痛みも感じないのではないか?」という仮説に至ったのではないかと…。こうなったら、身をもって、実験を行うしかないのでしょう。かくして、自ら実験台となり、遂行したわけですね。そして、「目をつぶっても、痛いものは痛いんだ」という結論に至ったのでしょう。 読者の皆さんも、「分かっちゃいるけど、やめられない」こと、ありませんか? 私も、昔、感電を承知で、基盤に触って、100ボルトの電圧の洗礼を受けた記憶があります。 昨今、「マンションのバルコニーから、幼児が落下する」という事故がありますが、「もしかしたら、子どもたちは、実験のつもりで飛んでいる可能性も、あるのではないか?」と思うと、やり切れない気持ちで、いっぱいになります。日頃から、小さな過ちを積み重ねることで、大きな過ちを防ぐための知恵を、しっかりと身につけることができるのではないでしょうか? 話は戻って、「仮説を立てて、実証し、結果を導き、それを糧とする」という動きを...
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