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2024/04/01(月) またいつもの生活が

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  はじめに、さだまさしさんの処女作で、グレープのデビュー曲となる、1973年10月25日発売の「雪の朝」の歌詞をご覧いただきます。 (1) 表は雪が降ってる 一面の薄化粧  君はまだ眠ったままで 夢でもみてるのかしら - 中略 - (2) 僕が少しまどろむと もう君は起きていて  ねえみてごらん雪だわと 君は幸せな人だ  曇りかけた ガラスを 君はその手で拭い  まるで子供みたいに 目を輝かせた  またいつもの生活が 始まるだけの朝なのに  頭の悪い私には、よくわからないのですが、なんだか哲学的な感じです。この歌、二番の歌詞の最後の一行、「またいつもの生活が 始まるだけの朝なのに…」が、どういう訳か、40年程前に聴いてから今まで、ずっと心に残っているのですよ。不思議です。  「またいつもの生活」なんて、現実の中には、たくさんありますよね。炊事、洗濯、掃除、出勤、買い物などなど…。そんなルーティンの時、私の頭の中では、「始まるだけの朝なのに…」というフレーズが流れるのでした。  でも、「それは、変化を求めようとする、若者特有の感性だったのではないか?」と思うようになりました。そして、60歳になった今は、「今日も、いつもの生活ができて、ありがとう」という感情になっているのです。だって、大病をしたり、経済が破綻したりしたら、いつもの生活は、できなくなってしまうんですから…。だから、「いつもと同じ生活も、実は、とっても幸せなことなんだ」と思えてくるのです。「めんどくさい」なんて、言ってられません。(「めんどくさい」と思う時もありますけどね…。)  思い出しました。私が40歳代の半ばだった頃、当時勤めていた職場を、自らの意思で辞めて、フリーランスになった時も、「いつもの生活ができなくなる」という現実に直面し、「ルーティンって、幸せなことなんだなあ」と、しみじみ思ったものでした。  そして今、世界のあちこちで、戦争が起こっています。戦争中こそ、「いつもと同じ生活ができる幸せを取り戻したい」と、誰もが願うことでしょう。  「今朝も、自宅で飼い鳥の糞の始末をさせていただけて、汚いけど幸せです」、「保育園でも、朝からスキンシップを求めてくる、何人ものお子さんを抱っこできて、重いけど幸せです」  しあわせは、心が決めるんですね。

2024/03/01(水) 流れ星、迷える子羊でいてね (ぱぱさん)

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 例年のことですが、毎年1月から3月にかけて、年長さんの保育士への甘えが、まあ激しくなりますねえ。私の膝の上にも、朝から乗ってきて、私の二の腕の筋肉(通称、振袖?)を触り続ける女の子がおりまして、「ぱぱさんと、なおさんと、おんなじくらい気持ちいい!」。私は、「そりゃ、熟成しすぎて、たるんでますから...(なおさん、ごめんなさい)」。そのあとは、私のお腹を触って、「お肉いっぱい~」。私は、「大トロでっせ!お金かけてまっせ!」。  きっと、私たち保育士も、無意識に「もうすぐ1年生なんだから」、「もう立派なお兄さん、お姉さんなんだから」と、年長さんに、何らかのプレッシャーをかけているのかもしれません。まあ、「その時になって困らないように、前もってやらせておく」、「予行演習」、これは親心というものなのかもしれません。子どもは、それを敏感に感じ取り、その反動として甘えてくるのだと思います。  「その時になって困らないように、前もってやらせておく」のがいいのか...、「そんなにやらなくても、その場になったら案外できちゃうもの」なのか...。「転ばぬ先の杖」か...、「案ずるより産むが易し」か...。これって、もしかしたら幸福論ですよね。キリスト教や仏教でも、それが核心部分で、「あんまり先、先と考えていたら、詰まってしまいますよ。その時になったら、考えればいいじゃありませんか。その方が幸せでは?」といったような教えが多い気がします。なんだか、ホッとします。  さくらそう保育園では、まだ見えないものを信じて、待つ保育を目指したいと思います。今はまだできないけれど、その時になれば、きっとできると信じて、見守る保育ができたらいいなと思います。「みんなと同じ行動が出来ない」という行為をすることによって、自分に降りかかるプレッシャーに何とか耐えているお友だちに対して、「3月31日までは流れ星、迷える子羊でいてね。」と、応援したいと思います。

2024/02/01(木) [ナナフシの話 ~朝日新聞(夕刊)2023/11/2(木)から~]

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  空を飛ぶことはできないナナフシですが、「鳥に食べられることで、鳥の糞の中で卵として生き延びて、分布を拡大させているのではないか?」というお話でした。通常、「鳥に食べられた昆虫は、体内の卵もろとも、生存の可能性を失う」というのが、セオリーのようです。ところが、ナナフシの卵は、それでも死なないのですね、すごいです。  文章の最後に、「決して鳥に食べられたいわけではないはずです」とありますので、鳥に食べられたくはないけれど、万一、食べられてしまった場合の第二の手段として、「鳥の糞の中で、卵として生きること」を考えているのでしょうか?  ともあれ、「生きるために死ぬ」とか、「死んでも死なない」とか、すごいキャッチフレーズが、私の頭の中を駆け回ってしまいました。  保育園は、今、幹部も保育士も、高齢化が進んでいます。それは、年をとっても働けるということでもあり、嬉しいことではありますが、一方、若返り、世代交代を考えていかなければならないともいえるでしょう。「生きるためには、死ぬことも必要なのでは?」と、ナナフシから教わった気がしました。

2024/01/15(月)ジャンプしてもいい?(ポエム・散文シリーズ)

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 「ぱぱさん、ジャンプしてもいい?」と3階さん 「なんでそんなこと聞くの?」と私 「ここ(のジャンプ)はもえさん(保育士)がみていないとやっちゃいけないの」 日常のやり取りのなかで、どこにどんな危険が潜んでいるかを、子どもなりに理解して蓄積しているなと感じ、嬉しくなりました。 と同時に、ちょっとだけ不憫になり、「もえさんじゃないけど、ぱぱさんが見てるから、今だけジャンプしていいよ」 嬉しそうにジャンプする姿を見て「子どもの笑顔はいいな」と思いました。と、その後ろにはジャンプをしようとする別の子の姿が、、、 「飛んでいい」、、、「いいよ」 どこから情報を仕入れてきたのでしょうか。あっという間に10人ほどの列になって、私はその場から動くことができなくなってしまいました。 「すばらしい情報伝達力!」

2024/12/24(日) [身の回りの小さなサンタ] (ぱぱ)

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  3歳さんのN子ちゃんは、「勝つ」ことが大好きです。なので、私は、N子ちゃんとジャンケンをするときは、ある工夫をして、いつもN子ちゃんが勝つようにしていました。  その方法とは、ジャンケンの一連の動作、すなわち、「最初はグー、ジャンケン、ポイ!」の、真ん中の「ジャンケン」のところで、「次に出す手を、予め、相手に示してやる」というものでした。「ジャンケン」のところで、グーかチョキかパーかを、「私の手の形で、N子ちゃんに伝えてしまう」ということです。N子ちゃんは、いつも私の手の動きに着目して、全戦全勝です。そのたびに、私は「まけた~。」と悔しがり、N子ちゃんはニンマリしていました。  そんなやり取りが、2023年の5月頃から、12月7日まで続きました。実は、N子ちゃんは、毎朝のお父さまとのお別れが辛いようで、その辛さの代わりとして、入園間もない頃から、毎朝、私に抱き着き、何とか心を持ち直そうとしていたのでした。朝、母子父子分離が難しいというのは、良く育っている証拠です。そのことを知っている私は、困っている、お父さまに、時々、「お父さん、お子さんに愛されていますねえ。羨ましいです。」と言っていました。  しかし、12月8日のことでした。朝、登園するなり、N子ちゃんは、私のところにやってきて、「ぱぱさん、ジャンケンしよう。」と言うのです。すぐに、「いいよ。」と返す、私。すると、N子ちゃんは、「ぱぱさん、グー出してね。」と言うのです。私は、例の特別なやり方はしないで、言われるままに、「最初はグー、ジャンケン、ポイ!」のタイミングで、素直にグーを出しました。  すると、N子ちゃんは、何とチョキを出してきたのです。びっくりする私をよそに、N子ちゃんは、「ぱぱさん、勝ってよかったね。」と言って微笑みました。  私は、今まで、N子ちゃんに対して、サンタさんになっていました。父子分離で悲しい思いをしているN子ちゃんが、ジャンケンで勝つことによって、「せめて、少しでも、元気をプレゼントできたら」という気持ちでした。でも、今、私の目の前にいるのは、わざと負けて、私に「勝ち」をプレゼントしてくれる、とっても優しい、「N子ちゃんサンタ」なのでした。  もしかしたら、「サンタクロースは、あっちにも、こっちにも、身近なところに、いるのかもしれない…。」と思いました。私たちは、身の回りの小さなサン

2023/12/15(金) Sくんのつぶやき(ポエム・散文シリーズ)

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 「このどんぐり、われてる・・・ あかちゃんうまれてくるの?」(3歳)

2023/12/1(金) そこから始まった(ポエム・散文シリーズ)

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  星野富弘さんは、1946年に群馬県みどり市東町に生まれた詩画のプロです。この方は1970年、中学校教諭としてクラブ活動の指導をしている最中に、鉄棒から落下して頚髄を損傷し手足の自由を失ってしまいます。しかし、そんなピンチの中、1972年の入院中に筆を口にくわえて文や絵を描き始めたのだそうです。そこから先の活躍は誰もが知るところです。 (星野富弘さん「ミズナラ 2006年」より)       夢と希望にあふれた中学校の先生から落ちて、転がって止まったところで、文筆という才能が開花し、未来を造って行ったのですね。心に響きます。ピンチはチャンスと本当に思える柔軟な心が欲しいです。      ぼくも池袋から落ちて 斜面を二三回       転がって止まったところは川口       そこからぼくは、自分の未来を造って行ったんだなぁ  ぱぱ