投稿

2023/09/15(金) みそらいろ(ポエム・散文シリーズ)

イメージ
 あるとき4.5歳の園児たちは、保育園にいらしたお客さまに、日本の伝統色、和カラーを教わりました。その中に、「みそらいろ」という色がありました。御空色は、空色よりも少し紫を含んだような、上品で神聖で高潔な色でした。  2か月後、保育中にあるお子さんが「みそらいろできたよ」と言いながら、1センチ角ほどのサイコロ状の形をした粘土を持ってきました。私は驚きました。その粘土の色は、「みそらいろ」そのものだったのです。  どうやって作ったのかを聞いてみると、クレヨンのプラスチック製のフタの裏側を上にして机に置き、白、青、ピンクのクレヨンをフタの凸凹を利用して、削り取り、混ぜ合わせて、みそらいろ風?を作り、園児私物の油粘土に塗ったということでした。フタの裏は、色名やクレヨンの形が成型されていて、あたかもクレヨンを削り取るやすりの代用として好都合でしょう。クレヨンを粘土に塗ることにより、粘土の色がクレヨンに透けて、みそらいろの色彩再現度がますます上がるでしょう。  私はこのお子さんのアイディアと感性に驚き、素晴らしいと思いました。  一般には、「粘土とクレヨンを混ぜてはいけません」、「クレヨンのフタを粘土板のように使ってはいけません」となるのでしょうが、私は思います。「まあそういわずに・・・」  

2023/09/01(金) [大噴火] (座談会シリーズ #5)

イメージ
 (すけ)  日々、子ども達の熱い思いが溢れる保育室の中ですので、頭を悩ませることは沢山あります。  2023年度が始まってから、早5ヵ月、子ども達も現在の環境に慣れて、自らの熱い思いを出せるようになってきたことで、子ども同士で、ぶつかりあうことが、あるのです。 (ぱぱ)  ぶつかりあう原因は、何でしょうか?  おもちゃの取り合いでしょうか? (すけ)  そうですね。車のおもちゃ、とりわけパトカー、それからソフトブロックや、おままごとで使う人形などで、取り合いになることが多いようです。特に、2歳さんの思いと言ったら、大噴火級です。一触即発な雰囲気になることも、しばしばです。  例えば、Aちゃんが「Bちゃんに、パトカーを取られたー!!」と怒って、それを取り返そうと、Bちゃんとの引っ張りっこが始まります。  よくよく事情を聞いてみると、「パトカーは、あそこに一時停車していただけ」、すなわち、一見、誰も使っていないように見えるけど、「Aちゃんとパトカーは見えない糸でつながっていた」ということだったのです。  一方、Bちゃんには「見えない糸」は見えないので、「そこにパトカーが置いてあったから、自分の所有にした!!」ということですね。Bちゃんから見たら、しごく真っ当なご意見です。  そうして、二人の取っ組み合いが始まり、それはもう燃え上がるのです。 (ぱぱ)  どちらも正論、悪くないですよね。 (すけ)  Aちゃんにすれば、「ちょっと置いておいただけなんだから」という思い、取られて辛い気持ち…。  Bちゃんにすれば、欲しい気持ち、「置いてあったから、拾ったんだよ」という思い…。  「こうするのが正しい!」と、大人の意見を押し付けて、采配してしまっては、子ども達の思いに添えない上に、成長するチャンスをも奪ってしまう事になるので、「こうすればいいのに!」と、もどかしい思いを抱えつつも、子ども達の成長を願いながら、大噴火からの衝突に備えて、見守っています。 (ぱぱ)  大人による一方的な采配は、事実をゆがめることに、なりかねませんので、「極力しない」というのは、賛成です。ただ、大噴火中でも、「顔への攻撃は、なし」、「噛むのは、なし」等、保育士がレフェリー役をすることは、必要かもしれませんね。 (すけ)  そうですね。レフェリーさながら、危険な時は止められるように、傍らに控えています

2023/08/15(火) 炊き立てのご飯(ポエム・散文シリーズ)

イメージ
子どもが主体の保育って、大人の味付けを極力しないってことだとしたら、炊き立てのご飯の味に似ているかも。 まったく味付けしないのは無理だから、 「卵かけご飯」か、 「ごま塩ご飯」か、 「納豆ご飯」くらいがいいね。 シンプル イズ ベスト 大人が主体の保育って、味付けたっぷりってことだとしたら、 炊き立てのご飯も大胆にアレンジだね。 具材たっぷり「ふと巻き寿司」か、 見た目に嬉しい「炊き込みご飯」か、 国民食「カレーライス」・・・ これまた旨いねえ でも、ぼくはシンプルがいいなぁ~(ぱぱ)  

2023/08/01(火) 座談会 #4 [思いを否定しない]

イメージ
 (…前回からのつづきです)  (ぱぱ)  前回の座談会の趣旨は、子どもの一見マイナスと思われる行動も実は大切なのでは、ということですが、すけさんはどう思いますか? (すけ)  思いをくみ取るときに心掛けていることの一つに、その思いを否定せず「そうか、そうか」とありのままを受け止めるという事を心掛けています。  子ども達の思いをくみ取ろうとしたとき「聞いて聞いて!」と話したり意思表示をして思いを伝えてくれれば良いのですが、友達の玩具を取ってしまったりしていてなんて時には、すんなりと思いを伝えてはくれません。そんな中、やっと話したりしてくれても、そこですぐさま「欲しくても取っちゃダメでしょ」などと否定してしまっては、それ以上思いを伝えることも、こちらの話も聞くことも嫌になってしまうでしょう。そして再び何かあった時も「どうせ怒られるし(否定されるし)」と始めから思いを伝える気もなくなってしまうと思うのです。そうなってしまっては子どもの思いをくみ取ることも大変難しくなります。ですので、思いを伝えたら、受け止めてくれると言う、子ども達にとって思いを伝えやすい保育者であることが思いをくみ取るうえで大切であると思うのです。  また、この思いを受け止めてもらえると関係性は、子ども達の保育者に対する信頼にも繋がっていき、その信頼は、子ども達が安心して過ごせる環境作りに大きく影響をし、安心できる環境では思いを伝えることもしやすくなり、さらなる思いの受け止めにより、信頼がより高まりと正のスパイラルとして繋がっていくものと思います。  そして、例に挙げました玩具を取ってしまったりと言ったトラブルの時などは、思いを吐き出してしまえば心が落ち着いてくるでしょうし、落ち着けば相手の様子や保育者の言葉かけにと周囲に気を回す余裕も出てくるかもしれません。また、信頼関係のある保育者の言葉は子どもの心に届きやすくなることでしょう。そんな心に生まれた余裕や保育者との関係性がトラブル解決の糸口になるのではとも思うのです。 (ぱぱ)  子どもの一見マイナスと思われる思いを「否定」しないで「そうか、そうか」とありのままを受け止めることで、保育士と子どもの間に信頼を築いていきたい。信頼があれば子どもにとって耳が痛いことでも理解してくれるのでは、と言うことですね。その通りだと思います。  その上で、マイナスなこと

2023/07/03(月) 座談会 #3 [思いの背景]

イメージ
(…前回からのつづきです) (ぱぱ)  小さな一言を聞き流さないで、推察していく姿勢は、「寄り添っていく保育」そのものだと思います。「良い保育士は、良い探偵でもある」とも言えそうです。  では、次は、うめさん、子どもの思いをくみ取るという視点で、自由に語っていただけたらと思います。 (うめ)  「子どもの思いを受け入れる」ということを考えた時、個人的に意識していることは、「できるだけ正確に、その思いの背景を理解する」ということです。  たとえば、ある子が、他の子をたたいたり、噛んだりしてしまった場合、その行為が相手に与える影響(痛い、かなしい等)を説明し、「人の心や身体を傷つけることは、してほしくない」旨を伝える必要が、あると思います。しかし、その子が、そのような行動をしてしまった背景を理解できていないと、同じようなことが、二度、三度と起きてしまうと思います。発育・発達段階からすると、相手の気持ちを客観的に理解できるようになるのは、早くても4~5歳くらいからだそうですから、朝日園や東領家園のような0~2歳児さんの保育園では、なおさら、言葉の説明で理解することは、むずかしいと思います。  そこで必要になるのが、行動の背景にある思いを理解し、その気持ちによりそった対応をすることだと思います。他の子に乱暴してしまう子にも、相手の子に自分の使っていた、おもちゃを取られてしまったり、作っていたものを壊されてしまったりして、かなしかったり、くやしかったりした…という思いが、あったのかもしれません。あるいは、前日、よく眠れていなかったり、朝ご飯を十分に食べられなかったりして、体調が万全ではなかった…という事情が、あったのかもしれません。さらには、保護者やスタッフに甘えて、受け入れてほしい…という思いの裏返しだった…ということも考えられます。  その子の日々の様子や、他の子を含めた前後の流れ、そして、家族や他のスタッフからの話等、少しでも多くの情報を得るとともに、目の前にいる子自身を、しっかり見つめることで、行動の背景にある思いに共感して、それを受け入れられるような保育者になりたいと思います。このようなスタンスは、前回の話にあった「インクルーシブな保育」にもつながると思いますし、ひいては、わたしたちの目指す「さくらそう保育」になっていくんだと思います。 (ぱぱ)  その通りですね。

2023/06/01(木) 座談会 #2 [保育で大切なこと]

イメージ
(ぱぱ)  「まだ、ことばのやり取りができない、0・1・2歳児のお子さんに対して、その子の思いをどうやって受容していくのか、寄り添っていくのか」について、考えていきたいと思います。  今度は、すけさんに質問します。すけさんは、子どもの思いをくみ取りたいのに、なかなかできなくて困ったことはありませんか? (すけ)  やはり、言葉の聞き取りでしょうか。特に、1歳から2歳の話し始めの頃になると、一生懸命伝えようと話してくれているのに、何と言っているのか聞き取れない、そんなことがあります。  例えば、1歳児クラスの男児に、「ぼく」と言われた時の事です。「自分(ぼく)に対して、何かして欲しいことがあるのかな?」と思い、「どうしたの?」と聞いたのですが、「ぼく!」と言うばかりだったのです。何度聞いても、「ぼく!」と言うだけで、そのうち、伝わらないことに「むーーー!」と怒ってしまいました。「『ぼく』の意味するところが、違うのかな?」とも思ったのですが、いくら考えても「ぼく」の意味は分かりません。  そこで、ちょっと落ち着いてから、もう一度聞いてみようと、その子を抱っこしながら、部屋の中を歩き回ってみました。すると、その子が、また「ぼく!」と言って、何かを指さしたのです。その先を見ると、そこにあったのは、なんと「ブロック!!!」。そのブロックは、彼からは見えない位置に置いてあったので、抱っこするまでは、どこにあるのか分からなかったようです。ブロックと分かってから、あらためて聞いてみると、「ぼ」の発音も「ぶぉ」になっていましたし、「ぼ」と「く」の間には、小さな「っ」があったような気もしてきたのです。  そんな言葉の聞き取りで、悩んでしまうことが、多々あります。特に、話が成り立つようになったばかりの頃だと、こちらが聞き取れないことに対してのイライラが、手に取るように分かるので、辛いところです。そこで、「この子と、こんなことを話した」など、スタッフ同士で共有や相談をして、少しでも多くの思いを受け止められるように努めています。 (ぱぱ)  保育に携わる者として、大切な視点が語られていると感じました。それは、「『ぼく』の意味するところが、違うのかな?」と感じる心を持つことだと思います。そこには、愛がありますね。小さな一言を聞き流さないで、推察していく姿勢は、「寄り添っていく保育」そのものだと

2023/04/25(火) 座談会 #1 [インクルーシブな保育]

イメージ
(ぱぱ) 「私たちがやりたい保育、目指している保育ってなあに?」ということをテーマに、語り合えたらと思います。言い出しっぺですから、ぱぱから語っていきますね。  今、世界的に、インクルーシブな保育が望まれるようになってきているのが、いいなと思います。  ぱぱの理解によると、インクルーシブな保育というのは、「少数派を大切にする保育」とでも言いましょうか。どのクラスにも、いると思うんですけど、いわゆるトラブルメーカー的なお子さんや、何となく仲間から外れていってしまうお子さんとかを大事にして、「急がず、ゆっくり、共に過ごす」ということですね。そして、それは、実は小数派だけではなく、なんと「多数派のためにもなる」という考え方なんです。  でも、実際のところ、少数派に合わせようとすると、その援助は、なかなか難しいんですよ~。「私の言うこと聞いて!」の真逆で、基本的には、「あなたの言うこと聞きましょう」という援助になるので…。私なんぞ、日々、オロオロしてます。  では、次にうめさん、ひとことお願いします。 (うめ)  インクルーシブな保育を考えた時、そこでまず必要になるのは、すべての子どもたちを受け入れようとする「受容」の姿勢ではないでしょうか? 一人ひとり違う子どもたちに対して、肯定的に接することが、ぱぱさんの発言にあった、「あなたの言うことを聞く」という援助につながるんだと思います。  さらに言えば、一人の子どもの中にある、さまざまな側面に対しても、受け入れていく姿勢が大切だと思います。滑り台は好きだけど、かけっこは苦手な子、歌は好きだけど、お絵描きには興味がない子等、好きなことや、きらいなことも、得意なことや、苦手なことも、誰にでもあるものだと思います。  そのためには、まず、わたしたち保育者自身が、「○○をしなきゃダメだ」とか、「△△はしちゃいけないんだ」とかいう、固定概念から解放される、ということから、始める必要があるんでしょうね。保育者が、このように考えていると、どうしても、その枠に収まり切れない子どもたちの行動が出てきて、「言うことを聞かせる」という保育になってしまうでしょうから…。その上で、表情や行動等で、子どもたちが表現していることから、その子の思いを感じ取って、その思いにそった援助ができるように、していきたいと思います。 (ぱぱ) 「受容」していきたいですね