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2023/12/1(金) そこから始まった(ポエム・散文シリーズ)

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  星野富弘さんは、1946年に群馬県みどり市東町に生まれた詩画のプロです。この方は1970年、中学校教諭としてクラブ活動の指導をしている最中に、鉄棒から落下して頚髄を損傷し手足の自由を失ってしまいます。しかし、そんなピンチの中、1972年の入院中に筆を口にくわえて文や絵を描き始めたのだそうです。そこから先の活躍は誰もが知るところです。 (星野富弘さん「ミズナラ 2006年」より)       夢と希望にあふれた中学校の先生から落ちて、転がって止まったところで、文筆という才能が開花し、未来を造って行ったのですね。心に響きます。ピンチはチャンスと本当に思える柔軟な心が欲しいです。      ぼくも池袋から落ちて 斜面を二三回       転がって止まったところは川口       そこからぼくは、自分の未来を造って行ったんだなぁ  ぱぱ

2023/11/15(水) おねがいだからたすけてください(ポエム・散文シリーズ)

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なおさん(保育士)が「おかたづけのじかんです。おねがいだからたすけてください」と言っても、片づけせずスタッフルームや絵本コーナーにやってきてニヤニヤしている3階さん・・・ 「ちゃっかりしてるなあ」 ある時、私に向かって「なおさんを、おねがいだからたすけてください」と、懇願してきた3階さん。様子を確かめに行くと、そこには固定遊具の金具が外れて必死に直そうとするも、思い通りにいかずに困っているなおさんの姿が、、、 「みんな、やさしいなあ」

2023/11/01(水) [3年かけて…]

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 Bちゃんは、0歳児クラスに入園してきた女の子です。春生まれで、夏から入園したので、すでに満1歳になっていました。  月齢が高かったこともあってか、入ったばかりの頃から落ち着いていて、身の回りのことも上手にできていました。また、お友だちとのトラブルもなく、泣いたり怒ったりするようなことも、ほとんどありませんでした。  たとえば、はしゃいだお友だちが、ぶつかってしまっても、感情的になるようなことはなく、次はぶつからないように、そっとその場を離れる…、自分が使っているおもちゃを取られてしまっても、ケンカをしてまで取り返すようなことはせず、他のおもちゃをさがす等…、自分が一歩引くことで、おだやかに対応することを選んでいるようでした。  1歳児クラスになると、少しずつ、Bちゃんの声を聞くことが、できるようになってきました。Bちゃんは、お話も上手で、実は、たくさん、おしゃべりしてくれていたのです。  「使ってる…」、「あっち行って…」等、怒鳴らないどころか、耳をすまさないと聞こえないくらい、ひかえめな声でしたが、ちゃんと自分の思いを言葉にしてくれていました。  そして、Bちゃんが、2歳児クラスになった今年度は、さらにしっかりと、自分の思いで行動するようになりました。  独り言のように、ひかえめだった言葉も、相手や、まわりに、ちゃんと伝わるくらい、ハキハキとした大きな声で、話してくれます。また、小さいお友だちが、あぶないことをしていたりすると、やさしく教えてくれたりもします。  そんな中で、個人的に、一番うれしかったのが、抱っこを求めてくるようになったことでした。  それまでは、すべて自分で解決しようとしているかのごとく、スタッフに甘えるようなしぐさは、ほとんど見られませんでした。  それが、自分から抱っこをせがんだり、他のお友だちにまざって、スタッフにちょっかいを出してみたりして、自分の欲求を、素直に伝えてくれるようになったのです。  ただ、Bちゃんの園での様子を振り返ると、心を開いてくれたことを喜ぶとともに、「ここまで来るのに、3年もかかってしまった…」という思いもあります。  それは、「もう少し、深くかかわれていたら、もっと早く、安心してもらえたのでは…」という後悔でもあります。  保育園では、たくさんの子どもたちが、集団で過ごしています。そして、その中には、まだ小さくて

あとでかしてね(ポエム・散文シリーズ)

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 「あとでかしてね」 それは、相手にゆずることば、 けんかを回避することば、 過去、現在、未来に気づいたことば、 平和のことば、 見えないものを見ようとすることば、 信じようとする言葉、 「あとでかしてね」

2023/10/02(月) [どこでもバリア] (座談会シリーズ #6)

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 (前回からのつづきです) (なお)  今、4・5歳児クラスでは、泥棒と警察、通称「ドロケイ」という追いかけっこが流行っています。最初は、泥棒役が逃げ疲れた時の救済措置として、「体操マットの上限定で、『バリア』を使って休むことができる」というルールを作りました。ところが、今は、警察役に追いつめられると、あらゆる場所で、「どこでもバリア!」と言って、体の前で両腕をバッテンにするポーズをとるようになったのです。その「どこでもバリア!」が出ると、警察役は泥棒役を捕まえることができません。そんな理不尽なルールが、横行してしまったのです。 (ぱぱ)  当然、警察役からは文句が出るでしょう? (なお)  ところが、4歳組のA君は、「どこでもバリア!」が出ると、素直に受け止めて、違う泥棒を追いかけようとするのです。 (ぱぱ)  それはまあ、素直というか、お人良しというか…。状況が見えていないからこそ、とも言えますね。 (なお)  一方、5歳組のB君の場合は、理不尽だと分かったので、長い間、大号泣が続きました。その声があまりにも大きいので、ドロケイは一時中止に追い込まれました。B君の気持ちもわかるし、早く再開したいという、お友だちたちの思いも大事にしたいし、頭を悩ませているわけです。 (ぱぱ)  B君が泥棒役になった時も、「どこでもバリア!」を使いますか? (なお)  最初は使わなかったんですが、そのうちに「どこでもバリア!」を使うようになってきたのです。警察役から見れば、言語道断のルールですが、泥棒役から見れば、なんともおいしい蜜の味ということが分かってきたようですね。あの大号泣も、過去の話になりました。個人的には、大泣きしてたB君が愛おしいです。 (ぱぱ)  そうやって、「立場の違いによる、受け止め方の違い」に気づき、視野が広がっていくのですね。相手の思いが理解できるというのは、すごい学びだと思います。一方、あの大号泣のような魂の激震は、相手の思いが理解できることと引き換えに、少なくなっていくのでしょうね。そこに、一抹の寂しさは覚えますが、「育つ」とは、そういうことなのでしょう。 (なお)  そうですね…。3階では、そのようなできごとが、ドロケイ中、多発的に起こるので、奮闘する日々です。今は、一時中止になるお子さんたちへの対応として、できれば、ゲームを邪魔しない場所に移動しても

2023/09/15(金) みそらいろ(ポエム・散文シリーズ)

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 あるとき4.5歳の園児たちは、保育園にいらしたお客さまに、日本の伝統色、和カラーを教わりました。その中に、「みそらいろ」という色がありました。御空色は、空色よりも少し紫を含んだような、上品で神聖で高潔な色でした。  2か月後、保育中にあるお子さんが「みそらいろできたよ」と言いながら、1センチ角ほどのサイコロ状の形をした粘土を持ってきました。私は驚きました。その粘土の色は、「みそらいろ」そのものだったのです。  どうやって作ったのかを聞いてみると、クレヨンのプラスチック製のフタの裏側を上にして机に置き、白、青、ピンクのクレヨンをフタの凸凹を利用して、削り取り、混ぜ合わせて、みそらいろ風?を作り、園児私物の油粘土に塗ったということでした。フタの裏は、色名やクレヨンの形が成型されていて、あたかもクレヨンを削り取るやすりの代用として好都合でしょう。クレヨンを粘土に塗ることにより、粘土の色がクレヨンに透けて、みそらいろの色彩再現度がますます上がるでしょう。  私はこのお子さんのアイディアと感性に驚き、素晴らしいと思いました。  一般には、「粘土とクレヨンを混ぜてはいけません」、「クレヨンのフタを粘土板のように使ってはいけません」となるのでしょうが、私は思います。「まあそういわずに・・・」  

2023/09/01(金) [大噴火] (座談会シリーズ #5)

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 (すけ)  日々、子ども達の熱い思いが溢れる保育室の中ですので、頭を悩ませることは沢山あります。  2023年度が始まってから、早5ヵ月、子ども達も現在の環境に慣れて、自らの熱い思いを出せるようになってきたことで、子ども同士で、ぶつかりあうことが、あるのです。 (ぱぱ)  ぶつかりあう原因は、何でしょうか?  おもちゃの取り合いでしょうか? (すけ)  そうですね。車のおもちゃ、とりわけパトカー、それからソフトブロックや、おままごとで使う人形などで、取り合いになることが多いようです。特に、2歳さんの思いと言ったら、大噴火級です。一触即発な雰囲気になることも、しばしばです。  例えば、Aちゃんが「Bちゃんに、パトカーを取られたー!!」と怒って、それを取り返そうと、Bちゃんとの引っ張りっこが始まります。  よくよく事情を聞いてみると、「パトカーは、あそこに一時停車していただけ」、すなわち、一見、誰も使っていないように見えるけど、「Aちゃんとパトカーは見えない糸でつながっていた」ということだったのです。  一方、Bちゃんには「見えない糸」は見えないので、「そこにパトカーが置いてあったから、自分の所有にした!!」ということですね。Bちゃんから見たら、しごく真っ当なご意見です。  そうして、二人の取っ組み合いが始まり、それはもう燃え上がるのです。 (ぱぱ)  どちらも正論、悪くないですよね。 (すけ)  Aちゃんにすれば、「ちょっと置いておいただけなんだから」という思い、取られて辛い気持ち…。  Bちゃんにすれば、欲しい気持ち、「置いてあったから、拾ったんだよ」という思い…。  「こうするのが正しい!」と、大人の意見を押し付けて、采配してしまっては、子ども達の思いに添えない上に、成長するチャンスをも奪ってしまう事になるので、「こうすればいいのに!」と、もどかしい思いを抱えつつも、子ども達の成長を願いながら、大噴火からの衝突に備えて、見守っています。 (ぱぱ)  大人による一方的な采配は、事実をゆがめることに、なりかねませんので、「極力しない」というのは、賛成です。ただ、大噴火中でも、「顔への攻撃は、なし」、「噛むのは、なし」等、保育士がレフェリー役をすることは、必要かもしれませんね。 (すけ)  そうですね。レフェリーさながら、危険な時は止められるように、傍らに控えています