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2026/03/31(火) どうにかいっしょにやっていこう by ぱぱ

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 2025年度も、本日でおしまい、明日からは、新しい年度になります。  さて、3/27(金)の「折々のことば」が、目にとまりました。「D どうにか I いっしょに Y やっていこう」、「何でも一人でと構えずに、仲間と手を携えて潜(くぐ)り抜けよう。頼りにしあえる人がいれば、少々ダメなところがあっても何とかなる。いざという時に当てにできる人がいる人は勁(つよ)い。」  私自身は、イソップで例えれば、「アリとキリギリス」のキリギリスそのもののような気がします。ウクレレやギターで、歌を歌うことくらいしかできませんから…。でも、私がチャラチャラしている、その横で、保育園の優秀なアリさんたちは、日々、園児さんや保護者のみなさまの機微に触れて、報連相を密に取り合い、平和をつくり出すべく、最善を尽くしているのです。  また、あるアリさんは、私にはちんぷんかんぷんなインターネット関係のみならず、渉外関係まで引き受けてくれています。毎日、美味しい給食を作ってくれるアリさんもいます。お掃除を頑張ってくれているアリさんもいます。  実は保育園の外にも、協力してくれるアリさんはいっぱいいて、労働規則関係、税務管理、園舎修繕と、多岐にわたっています。そして何より、国や県、市の公務員アリさんとは、日々協力し合っています。 「頼りにしあえる人がいれば、少々ダメなところがあっても何とかなる。いざという時に当てにできる人がいる人は勁い。」 この言葉をかみしめたいと思います。  1年間、ありがとうございました。来年度も、よろしくお願いします。

2026/02/10(火) 一本の線 by ぱぱ

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      福音館書店の「いやいやえん」でおなじみの作家、故中川李枝子さんの息子さんである、1960年東京都生まれの中川画太(かくた)さんの講演会に行きました。とてもステキな方でしたよ。  画太さんは、「いやいやえん」のモデルとなった、東京都世田谷区の無認可保育所「みどり保育園」のベビーベッドの上が、人生のはじまりということでした。  小さい頃は、毎晩寝る前に、ご両親から必ず本の読み聞かせを受けたそうです。そんな経験が、今日の画太さんを形作っていったのでしょう。その後、東京造形大学造形学部美術学科を卒業し、現在、「えかき小屋かくた」で、幼児から成人まで、絵画指導をしながら、自らの制作活動を続けているということでした。そんな画太さんの講演のお話から、個人的に、心に残ったことを書いていきたいと思います。 「絵で一番いいのは、実際には起こりにくい、あるいは、起こらないようなことでも、表現できることだと思います。自分の考える理想を、絵なら描くことができるのです!」  その通りだと思いました。生き方や考え方が違う者同士でも、絵であれば、一枚のキャンバスの中に描くことができるのです。戦争がない世界、みんながなかよしの世界、そんな絵を描くことができるのですね。また、過去と現在と未来という、時空を飛び越えた表現をすることもできます。たとえば、力道山と長嶋茂雄さんと大谷翔平さんを、一枚のキャンバスに描くことができるんですね。 「一番、抱きしめたくなる絵は、幼い子どもが描く、ただの一本の線の絵だなあ。でも、そこには意味があるんだよ。」 「この線何?」と聞くと、子どもは、「これは、かいじゅう。」、「こっちの線は?」、「ひこうき。ひこうきから、こうせん(光線)がでて、かいじゅうは、だいばくはつ!」 「最終作品としては、グジャグジャの線の絵なんだけど、そこに至るまでの物語が詰まっている、そんな絵は、思わず抱きしめたくなるよね。」  画太さんは、見えるものではなく、見えない、あるいは見えにくいものに、焦点を当てることができるのですね。グジャグジャの上書きの前に描かれた、一本の線。それは、グジャグジャに描き消されてしまっているように見えるけれど、見えなくても、あるんですよ。一本の線は、怪獣であり、飛行機であり、光線であり、爆発した炎と煙でもある。一本の線は、無限の可能...

2025/12/24(水) 平和 by ぱぱ

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   前回のコラムでは、料理家の土井善晴先生の「和える」ということを取り上げてみましたが、今回は、その続きです。  先生は、「和えると混ぜるは違う。混ぜるということは、全部を均一にしてしまう。そして、混ぜすぎると、素材を傷つけてしまう。和えるというのは、混ぜ切らないからこそ、むらがあって美しいし、それぞれの素材の味が活きてくるんです。だから、あんまり混ぜんほうがいい。」とおっしゃっています。  この「むら」という言葉も、素敵だなあと思います。和食には、「むら」があるからこそ、美しいのですね。「むら」があるからこそ、素材それぞれが活きてくるのですね。  このように、「一見、ネガティブに見える事象ではありますが、実は良いことかもしれませんよ」というようなものを発見するのが、とても好きです。  ググったら、こんなのが出てきました! ステキなので、最後に引用して、紹介します。これは、「一見、ネガティブに見える性格ではあるが、実は良いことかも」一覧と言い換えることができると思います。    こうして言い換えよう!リフレーミング (厚生労働省 ハローワーク)  今年も、お世話になりました。2026年、平和を作り出していけますように…。 「一見、ネガティブに見える性格ではあるが、実は良いことかも」一覧 あきっぽい ⇔ 好奇心旺盛 あきらめが悪い ⇔ 粘り強い 甘えん坊な ⇔ ひとなつこい あまのじゃく ⇔ 個性的 あわてんぼう ⇔ 行動的な いいかげん ⇔ こだわらない 意見が言えない ⇔ 争いを好まない 意地を張る ⇔ しっかり者 いたずら ⇔ こまめに動く いばる ⇔ 自信のある 陰気 ⇔ 調子に乗らない 浮き沈みが激しい ⇔ 心豊かな うるさい ⇔ 明るい・活発な 上っ調子 ⇔ 明朗快活である えらそうな ⇔ 堂々としている 臆病 ⇔ 慎重 おこりっぽい ⇔ 情熱的な おしゃべりな ⇔ 社交的な・活発な おせっかいな ⇔ 親切な・気が利く 落ち着きがない ⇔ こまめに動く おっちょこちょい ⇔ 決断が早い おっとりした ⇔ 落ち着いた おどおどしている ⇔ きちんとしている おとなしい ⇔ 穏やかな お人好し ⇔ やさしい 面白みがない ⇔ きまじめな かたい ⇔ 礼儀正しい かたくるしい ⇔ 意志が強い 勝ち気な ⇔ 向上心がある カッとしやすい ⇔ 情熱的な 軽...

2025/12/01(月) 人の場合も、あんまり混ぜんほうがいい by ぱぱ

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  料理研究家の 土井善晴先生のX に、目が留まりました。先生曰く、 「和食の場合は、あんまり混ぜんほうがいい。味にムラがあることが、おいしさなんだと。混ぜたら、たいていのものは汚くなる。絵具を何色も混ぜると、グレーになるように。『和える』と『混ぜる』は、ちゃうんや…。」  ググっていくと、土井先生と政治学者の中島岳志先生の対談を活字化した本に、あたりました。   以下、「 料理と利他 」からの引用です。 土井先生 「…それから、和食では、混ぜるではなく『和える』といいます。素材を混ぜず、それぞれの存在感を尊重する。西洋には、ケーキのように、液体と粉を混ぜ合わせて、まったく別のものを作り出す食文化があります。これは、科学的と呼べるのかもしれませんが、和食の場合は違います。」 中島先生 「土井さんは、料理番組で、よく『あんまり混ぜんほうがいい』とおっしゃいますね。味にムラがあることが、おいしさなんだと。」 土井先生 「混ぜたら、大抵のものは汚くなります。絵具を何色も混ぜたら、グレーになるように…。たとえば、ポテト・サラダでも、むやみに混ぜないで、『あ、いま美しい』という瞬間で止めるのが、一番おいしい。混ぜすぎると、雑味になったり、浸透圧が働いて水が出てきて、雑菌によって味を落としたりする。和食は、特に、いつも変化する最中の『この瞬間』を食べているんです。」  子どもだって、混ぜ過ぎたら、個性がつぶれてしまうような気がします。和える程度が、いいのではないでしょうか? 「子どもに、命令という形で指導することを、混ぜる和食」と例え、「子どもに、提案という形で指導することを、和える和食」と例えてみたいと思って、書いてみました。  いかがでしょうか?

2025/10/30(木) 猫と子ども by ぱぱ

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   著書「バカの壁」がベストセラーになった、解剖学者の養老孟子先生のYouTubeが面白いので、ご紹介したいと思います。   【養老孟司】愛猫の「まる」が死にました。   その悲しさと寂しさを養老先生がお話します。  飼い猫の「マル」のことを話題にしていますが、猫と子どもの共通点ということで、子どものことを、こんな風に語っています。 「子どもは、赤ちゃんを見れば分かりますけど、完全に自然状態で生まれてくる。それを人の社会に適応させていくわけで、それを教育って言ってはいるけど、そこのところで、人の社会の方に徹底的に適応させるかどうかっていうのは、悩ましいところですね…。」  教育を一言で言い表していて、すごいと思いました。養老先生は、自然と人工の境目に興味を持っておられるようです。そして、人工である、人の社会の方に徹底的に適応させることへの危惧を感じています。 「社会での成功っていう意味でいうと、小さい時から人の社会にならしていく方が有利ですよね。でも、本人の幸せという点からいうと、どうなのかなぁ。いくら成功しても、最終的には、やっぱり年を取りますし、そうなってくると、自然に対する心構えみたいなものが、どうしても必要になってくる…。」  社会での成功といった側面と、本人の幸せといった側面と、ふたつの考え方があり、前者は「人工」を優先することになるのだろうが、後者は「自然」を選択することになるのではないかと述べています。そして、後者のことも、もう少し大切にした方がいいのではないかという提案が、透けて見えてきます。 「子どもが幸せ感じるのは、どういう時かって、やっぱり、それ程束縛されないで、自由に遊んでいる方が、幸せに違いない…。」  その通りだと思います。好きな遊びに夢中になっている子どもの姿は、とても美しいと思います。 「子どもは、すでに、ただ今現在、幸せかどうかってことが、ものすごくはっきり分かる。加えて、子どもは、わざわざ、不幸せな方向へ行くようなことはしない。でも、大人は、『辛い時でも、辛抱すれば、後でいいことがあるから…』みたいな教え方をするから、大人になると、つい頑張っちゃうんですよね。大人は、『みんなで、適当なところで、やめておこうよ』っていうのは、なかなかできない、難しい。一方、子どもっていうのは、具合が悪くなると、消えちゃうんですよね…。」 ...

2025/09/30(火) ぐじゅぐじゅの未熟が大事 by ぱぱ

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  2017年4月2日に掲載された、朝日新聞「折々のことば 子ども編」を載せます。すべてがキュートで詩的なので、そのまんまなぞりますね。   よのなかは 〈こども〉と〈もと こども〉で できている 富安陽子  元はみな子どもであった。どんな子どももいつかは元子どもになる。というか、人はおとなになっても内に子どもを宿している。どどっと感動する力、凄まじい好奇心と集中力、微細な変化を見逃さない感覚のアンテナは、芸術や科学に必要な資質でもある。干からびた成熟ではなく、ぐじゅぐじゅの未熟が大事。これが文化を突き動かす。 童話作家の絵本『もと こども』から。 鷲田清一  マルチタレントの大御所、御年67歳の「みうらじゅん」さんのことを、アナウンサーがラジオの中で紹介したとき、みうらじゅんさんは、「ちょっと間違いがあります。僕の年齢は、ご紹介の通り67歳ですが、そのあとに『児』をつけてください。『67歳児のみうらじゅん』が正しいです。」と語っていたのを思い出しました。  素晴らしい気づきだと思います。人は、おとなになっても、内に子どもを宿しているのですね。  言い方を変えれば、子どもは、内にも外にも子どもを宿しているのですから、実にぐじゅぐじゅです。保育園では、今日も、お昼過ぎ頃に、何が障ったのか、満身の力を込めて泣き続けている女の子がいました。制御不能な、その泣き方は、まあ、あっぱれ見事で、お友だちが、心配して近づこうとしていましたが、とんだとばっちりを受けたとか、受けなかったとか…。でも、大丈夫、その女の子は、体内のエネルギーを全て排出し、今は、スヤスヤと、ほとけ顔で、お休み中! 「ぐじゅぐじゅの未熟が大事。これが文化を突き動かす。」  さくらそう保育園にいる、未来の芸術家や科学者が、将来、才能という花を咲かせることができる、平和な世の中が続きますように…。

2025/09/02(火) 適材適所 by ぱぱ

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   先日、栃木県足柄市の「ココファーム&ワイナリー」という、ワインの醸造所に行き、とっても美味しいワインとお食事をいただきました。今回は、このワイナリーのお話をしたいと思います。  昭和30年代に、川田 曻さんという、中学校の特殊学級の先生が、当時の生徒たちと開墾した急斜面のぶどう畑が、ワイナリーのもとになっているそうで、平均斜度38度のこの葡萄畑は、陽あたりや水はけがよく、葡萄にとっては最良の条件なんだそうです。  しかし、斜度38度ということは、耕運機やトラクターが使えず、人間の足で登り降りするしかないことを意味します。剪定後の枝拾いや、堆肥の運び上げ、一房一房の摘房、そして、収穫した葡萄のコンテナ運び…。全ての作業が、自然の中での労働を通して、自らの力をつけ、その力をもとに、自然の恵みを引き出していくということでもありました。  そんな毎日の暮らしの中で、知的障害のある少年たちは、長い時間をかけて、知らず知らずのうちに、寡黙で実直な農夫に、陽に灼けた葡萄畑の頼もしい守護人に、醸造場のかけがえのない働き手になっていきました。  そのような方々が属する組織は、現在、「こころみ学園」という学校になっています。学園生は、100名以上ということで、ほとんどの方が、最重度のハンディキャップを持ち、約半数の方々が、高齢者ということでした。重い障害を持ちながら、また、高齢のために車椅子で過ごしながら、みんなが、何らかのかたちで、ワイン作りに携わっているそうです。  「ココファーム&ワイナリー」は、伝統や名声を誇る外国のシャトーのように、潤沢な資金を持つことができません。大手のワインメーカーのように、大量生産することもできません。 しかし、葡萄を育て、ワインを醸す仕事に、自分の名前さえ書けないような人たちが取り組んできたことを、どんなに辛くても、一年中空の下で、がんばってきた農夫たちがいることを、ひそかな誇りに思っていると思います。  学園生一人ひとりに、それぞれの能力に応じた仕事を見つけ、従事していただく、たとえ、それが草取りや、石拾いや、カラス追いであったとしても、その仕事をしながら、自然に囲まれながら、安心して年をとっていけたらいい、そんな願いも込められているとのことでした。  オールマイティを求められて、それに応えようと必死にもがいたものの、結局、苦しいだけで...