2022/06/02(木) 「ともにある」ということ (うめさん)

 保育学校時代に、「ともにある」という言葉を学びました。これは、単に「物理的にいっしょにいる」ということだけではなく、「子どもの思いに共感し、その気持ちによりそう」というところまで至ることだそうです。それまで聞いたことのない表現だったこともあって、その保育の本質をとらえた言葉が、とても印象的だったのを覚えています。

 さて、さくらそう保育園は、小さな子どもたちが、一日の大半を過ごすところです。日々の活動の中で、好きなことをして遊んだり、おいしい給食やおやつを食べたり、ぐっすりとお昼寝をしたりしています。どの活動も、お友だちやスタッフといっしょで、さまざまな関わりの中から、人としての関係を学んでいく、貴重な経験になっているんだと思います。

 そんな中で、給食やおやつ、お茶等をこぼしてしまう、Aちゃんという子がいました。自分で食べるようになったばかりの子は、上手に口に運ぶことができず、結果的にこぼれてしまうことが多くなります。また、いろいろなものに興味を持つようになった子は、食べるものや飲むものもオモチャにして、水遊びや砂遊びをするように、ご飯とおかずを混ぜてみたり、そこにお茶や味噌汁をかけてみたりします。Aちゃんは、すでに保育園で何年か過ごしてきたお姉さんだったので、われわれスタッフは、食べもので遊んでいるのだろうと考え、食べることや食べるものの大切さを伝えながら、少しでも食べられるように声をかけていました。

 ある日、そのAちゃんの補食を手伝う機会がありました。案の定、Aちゃんは、出されたせんべいとお茶で、新たな料理(?)を作り始めました。失敗はもちろん、それが遊びであっても、否定するつもりはまったくありませんでしたが、それなりに食べておかないと、家に帰るまでにおなかがすいてしまうと考え、食べてみるように声をかけてみました。しかし、結果は同じで、Aちゃんはほとんど口にしませんでした。

 その後、ふたたび補食の時間になった時に、自分が大きな間違いをおかしていたことに気づきました。前回は、補食の準備だけして、Aちゃんに一人で食べさせて、自分は部屋の片づけ等の仕事をしていたのです。一人でテーブルについても、おいしく食べられるはずがありません。Aちゃんのまなざしから、そのことに気づいた自分は、急いで自分のお茶を用意して、Aちゃんといっしょにテーブルにつきました。「おいしいね」等と話をしながら、いっしょにお茶を飲んでいると、Aちゃんもおいしそうに補食を食べ始めたのです。

 Aちゃんの料理(?)は、「こっちを向いて、わたしを見て」というアピールだったのでしょうね。それ以降、補食はAちゃんとのティー・タイムになりました。食べさせるだけ食べさせて、さっさと片づけてしまうという時間から、子どもと向き合って、ゆっくり過ごすための時間になりました。途中でお迎えが来ても、最後までしっかり食べているので、親御さんには申し訳ない気持ちでいっぱいですが...。

 目に見える行動だけでは、判断を誤ってしまうことが多いのかもしれませんね。より適切な対応をするためには、その時々に子どもが感じていることや思っていること、そしてそれが意味するところを正確に理解する必要があるんだと思います。それが、あの頃学んだ「ともにある」ということであり、自分が保育士としてありたい姿そのものなのだと思います。子どもたちの気持ちに、少しでもよりそえる存在になりたいと、心から願う毎日です。

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