2026/04/28(火) 聖書の話(1) by ぱぱ

  気まぐれで、すみません。隠れキリシタン(?)の私が、突如、聖書のお話をしたいと思います。

[ルカによる福音書 13:6~9]
そして、イエスは、次のたとえを話された。「ある人が、ぶどう園に、いちじくの木を植えておき、実を探しに来たが、見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう、三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから、切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』 園丁は、答えた。『御主人様、今年も、このままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は、実がなるかもしれません。もし、それでもだめなら、切り倒してください。』」

 ぶどう園の主人は、3年前に植えた、いちじくの木が、少しも実をつけないので、園丁に「切り倒すように」と命じています。その命令に、園丁は、「この木を、もう一年、育てさせて欲しい」と頼みました。この時代、ぶどう園に、いちじくの木を植えることは、よくあったそうで、お金になる、ぶどうの木は、大切に育てられましたが、安い値段にしかならない、いちじくの木は、ほったらかしにされることが多かったようです。

 値打ちのあるものは、大切にされるが、そうでないものは、見向きもされない、これは、当時の社会が、当たり前に持っていた価値観でした。この価値観は、現在も、それほど変わっていませんね。多くの場合、人間の目から見て、ダメに見えるものや、ムダに思えるものは、切り捨てられてしまいます。たとえ、それが、人の場合でも、おかまいなしに切り捨ててしまう、悲しい現実です。

 この価値観に対して、イエスは、「ムダな木は切り倒せ」という主人に対して、園丁を登場させて、「私に、もう一年、世話をさせてください」と言わせるのです。イエスは、「どの人も、受けとめられて、大切に育てられれば、実をつけることができる、光り輝く存在になれる」と語っているのですね。

 このお話は、「神様は、すぐに失敗したり、結果が出なかったりする人に対しても、忍耐強く、再チャレンジのチャンスを与えてくださる」という愛のメッセージです。「忍耐強く、再チャレンジのチャンスを与えてくださる」ということは、「結果ではなく、経過を喜んでくださる」ということでもあります。木の周りを掘って、肥やしをやるという神の愛に、自分なりに応えていくことの大切さも、教えてくれているのですね。自分なりに応えれば、結果の如何にかかわらず、神様は喜んでくださるのです。

 さくらそう保育園は、「嫌いなことを追いかけるよりも、好きなことで勝負しよう」という社風(園風?)があると思います。ところが、その好きなことの中にも、実は、様々な壁があることに気づきます。結果ではなく、経過を喜んでくださる神様に、自分なりに応える者でありたいと思います。


 

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