投稿

2021/12/01(水) 学力とは何か?

イメージ
 NHK「おかあさんといっしょ」の番組開発で有名な、お茶の水大学名誉教授、内田伸子先生の論文、教育社会学研究第100集「学力格差は幼児期から始まるか?」~経済格差を超える要因の検討~のなかに、興味深い記載がありましたので紹介します。  これは、2012年に東京、ソウル、上海の3~5歳児1000名、合わせて3000名に個別の臨床面接調査を行った結果をまとめた表です。壮大な研究ですね。内田先生によると、「子どもの語彙力について、幼稚園と保育園による違いは、調査の結果認められませんでした。しかし、自由保育か一斉保育かでは、明らかな違いがみられました。自由保育、子ども中心の保育、自由遊びの時間が長い保育所の子どもの語彙力が高かったのです。」という結論でした。  内田先生は、どうしてこの論文を発表したのでしょうか?それは、2010年7月に当時の文部科学省幼稚園課が、「幼稚園卒の子どもは、保育所卒の子どもよりも成績が高い」と発表したことへのアンチテーゼのようです。私も当時、この文科省の結論は腑に落ちなかったことを思い出しました。  さて、この表から、「読みと書き」については、幼稚園・保育園・自由保育・一斉保育の差はないということを読み取ることもできます。これは、個人的には驚きでした。あくまでも語彙の多さについてのみ、差があったということなのですね。これについて内田先生は、別の論文で「50の文字を覚えるよりも100のなんだろ?を育てたい」と進言しています。「50の文字を覚える」は読み書きすることを表し、「100のなんだろ?」は語彙を増やす具体的な活動を表していると思います。「なんだろ?」は語彙力に直結し、語彙力と学力は密接な相関関係があるということですね。  さくらそう保育園の自由遊びや、それぞれのご家庭での団らんの中で、「なんだろ?」と感じる場面にたくさん遭遇し、その子なりの答えを見つけ、その答えを喜びの中で保育士と共有していくことで、学力がついていったらと思います。

2021/11/01(月) ことばが増えて楽しいです

イメージ
 日中は過ごしやすくなってきた代わりに、朝夕は寒さを感じるこの頃です。お子さまたちの言葉に耳を傾けていると、楽しい毎日です。  一例をあげますね。先ずは1階の1歳クラスのEちゃん、大好きな「とまとさん」の絵本を読んでもらい、満足して絵本を閉じた瞬間に、ニコニコしながら「おんまい!」可愛い幼児語ですね。Eちゃんは、他にも「かーとーし」(カブトムシ)、「こーた」(くわがた)...。これが、一週間経つと「くわったー」(くわがた)に変わっていました。日々、変化しているようです。  一方、1歳クラスのKちゃんは、「がんもーし つめた」(だんごむし みつけた)。これは、その場に居合わせないと、訳すことは不可能だと思います。とにかく、こんな表現に出会うと、思わずニヤリと笑ってしまいますね。  2階さんは、2歳クラスのMちゃん、「Mちゃんねえ、プリキュアのカレーがほしいの」。どうやら、お友だちが持っているプリキュアのカレーの空箱が欲しくなったようです。私が、「ママとパパに言って、買ってもらったらどうかな」と提案しますと、「ぱぱとまま、さいきん、おこるんだよね」。小さなMちゃんが、真顔で「最近」という単語を使っている、それも正しい使い方で...。どこで覚えたのかは分かりませんが、そのギャップに大笑いでした。  3階さんは、4歳クラスのYちゃんです。保育園見学のお母さんが、赤ちゃん連れで見学をしていますと、ニコニコ寄ってきながら赤ちゃんを見て、「かわいいねえ、なまえなんていうの?」。お母さんが我が子の名を告げると、「おとこのこ(おんなのこ)のなまえだね。」。そして、赤ちゃんの顔を見ながら、再度「かわいいねえ」。その言葉を聞いたお母さんは、Yちゃんに対して、思わず「ありがとう」と感謝の意を表すのでした。  同じく、4歳クラスのS君です。保育園見学のお母さんに対して、新聞チラシをチケットのように切り取ったものを入場券に見立てて、「どうぞ、こちらをおもちください」と言って券を渡しました。続いて、「おかえりのときは、こちらのけんを、○○のところにおもちください」と言って深々とお辞儀をしたのです。その振る舞いは、紳士そのものでした。  YちゃんやS君の言動によって、見学という緊張した場面が、一転して和やかな空気に代わったのは言うまでもありません。お二人さんは、最高の営業マン、優秀な人材です。将来...

2021/10/01(金) 一緒に生きてゆけたらいいなあ

イメージ
 子どものいざこざを俯瞰してみますと、そのお友だちへの興味関心があり、本当は仲良く遊びたいんだけど、上手く意思の疎通ができなくて、結果として「いざこざ」になってしまうケースがほとんど全てのような気がします。一方、そもそも関心がなくて仲良しになる気もない場合は、「いざこざ」まで発展しませんね。しかしながら、クラスの仲間という大きなくくりは理解しているようで、お当番活動で一緒になったりするときは、肩をつけあってニコニコしています。  ノンフィクション作家のブレイディみかこさんは、著書「他者の靴を履く」(文芸春秋)の中で、シンパシーとエンパシーについて述べています。直訳すると、どちらも「共感」となるようですが、自分と意見が同じであるが故の「共感」をシンパシーと表し、自分の意見とは違いがあっても、それでも知力によって「共感」を目指そうとする能力のことをエンパシーと表すようです。これをニュースとして朝日新聞に載せた、宮地ゆう記者は、「自分と異なる他者を理解するには、地味な努力がいる。だが、それは自分が生きやすい社会をつくることだと気づかされる。」と結んでいるところが興味深いと思います。真の平和というのは、意見の違う人を拒絶するのではなく、理解しようとすることによってのみ、実現できるのですね。  三十番地キリスト教会牧師の富田正樹さんは、公開説教の中で、「混乱や忍耐や葛藤を抱えながら、一緒に生きてゆくというのが教会なのではないでしょうか。『そういうことでは、何でもありになってしまう。それではいけないのだ』と、ことさらに一致することを求める教会、そういう風に言う牧師も、広いキリスト教会の中には一定数います。けれども、私は一致することがキリスト教会の第一目的だとは思わないんです。一致することよりも、『一致できない者が一緒にいる』ということの方が、はるかに大事です。そもそも、人間がお互いに完全に一致できるというのは、幻想じゃないでしょうか。」と述べています。本コラム著者は、教会を会社(あるいは保育園)と読み替えたいなと思います。なかなか一致はできないのだけれど、一致できない者が一緒にいる状態をよしとすることが、実は真の平和なのかもしれません。  子どもは互いに無関心でも、お当番活動で一緒になったりするときは、肩をつけあっていられるのが素敵ですね。我々大人は、どうでしょうか。社会でちょ...

2021/09/01(水) 子どものための保育時間とは

イメージ
 OECD(経済協力開発機構)は、ヨーロッパ諸国を中心に、日・米を含めた37の先進国が加盟する国際機関です。そのOECDが、日本と海外の保育時間について、データを出してきました。それによると、OECDとEU(欧州連合)各国の保育利用時間は、平均週30時間ということでした。ということは、週に5日保育を利用するのであれば、1日あたり6時間の保育になります。  日本とラトヴィアという国の保育時間は、平均週40時間ということで、とびぬけて長いという見解が掲載されていました。このとびぬけて長いということも、日本にいると分かりにくい感覚ですね。  さくらそう保育園元郷の場合は、平均週40時間くらいで、日本の平均といえます。個別に見ると、週30時間の方もいらっしゃる一方で、朝早くから夕方遅くまで利用される方もいらっしゃいます。「本当は、もっと子どもと過ごす時間をつくりたいのだけれど、会社の都合なので仕方がない」というのが実情のようです。  心理学博士で保育の安全研究・教育センターのKI先生は、「そこまで子どもを長時間預けなければならない、大人都合の働き方システムでいいのか?」、「認可保育園に入園できたら、保育料はほぼ定額または無償なのだから、使えるだけ使わないと損というシステムでいいのか?」と提言をしています。そして「子どもにとって良いシステムを取り入れることこそ、日本の未来にとって良いことになるのではないか?」と結んでいます。「保育園としては、しかたがないでいいのか?」と、私たち保育園側にも問題提起をされています。  日本の長時間保育は、日本の長時間勤務に対応し、女性の社会進出を支えてきました。だからこそ、保育園は発展したのでしょうし、現状のシステムでの運営も、一応できているように見えます。でも、このシステムは、あくまでも大人都合のものです。果たして、これで子どもたちは幸せになるのでしょうか?  大切なことを書きたいと思います。母親と子どもの結びつきは、その子どもにとって最も大切で重要で必要なことで、子どもには、「私だけに愛情を注いでくれる母なる存在」が欠かせません。残念なことですが、保育士では母親の代わりにはなれません。  子どものためには、週40時間の保育時間というのは多いのかもしれません。欧米のように、30時間くらいが適切なのかもしれません。でも、それが叶わない日本です。...

2021/08/01(日) 保育園の価値

イメージ
 先日、コロナウイルスをテーマにした、とある保育研修に参加しました。どちらかというとべらんめえ口調で、大変面白かったのですが、そのままの形で載せるわけにはいきませんので、先生の趣旨を私の言葉で翻訳して、発言形式で紹介しますね。  「コロナ禍の今、大人の世界では、濃厚接触を避けることが当たり前の世の中になっています。しかし、『10歳以下の子どもが、コロナウイルスで重症化したり亡くなったりする事例は、世界中探しても無い』ということは、注目に値します。一方、子どもと子どもが、肩寄せ合って濃厚接触をする中で、集団生活を営むことこそ、保育園の価値だといえるのではないかと思うのです。保育園とは、『濃厚接触を前提とした集団生活の場』であり、濃厚接触は子どもにとって価値あることなんです。」  「それなのに、濃厚接触を防ぐ対策として、互いに向かい合わないように座って食事をしたり、午睡時には布団と布団の間をできる限り離したり、パーテーションを設けて飛沫を防いだり、といったことを行っていませんか?それらは全く意味がなく、間違いでしかありません。なぜなら、その規制の時が過ぎた次の瞬間、子どもたちは頭と頭を突き合わせ、手と手を取り合ってコミュニケーションを始めるからです。子どもたちのコミュニケーションを止めてはなりません。それは、子どもにとって価値あることだからです。」  「そもそも、コロナウイルスというものは『タバコの煙のようなもの』で、空気感染によってうつるものです。対面を避けたから、少々距離をとったから、パーテーションをしたから、といったことで、タバコ臭い空気から逃れることができますか?できないでしょう。コロナウイルス感染の正しい対処法は、換気(空気の入れ替え)です。そして、手を清潔にすること、あとワクチン接種、これに尽きます。」  「繰り返しになりますが、保育園でむやみに濃厚接触を防ぐ対策をとるということは、子ども同士の濃厚接触を否定することにつながりかねません。それは、保育園の価値を否定することに他ならないことを認識すべきと思います。『濃厚接触を避けることはできません』と、保護者にきちんと表明しておくことが、保育園としての責任ではないかと思います。」  以上、講義の一部分の紹介でした。講義というよりも、抗議に近かったですね。ここからは、私の表明です。今まで世論や役所等の指導に寄り添...

2021/07/01(木) つぶやきの面白さ

イメージ
 「2階のトイレから水漏れがする」という情報を受け、私は翌日の朝早く、そのトイレを点検しました。どうやらネジの締め付けが甘いようで、パッキン付近から水が沁み出ています。太い水道管の太いネジを回す工具は手持ちに無く、とりあえず力任せにネジを素手で締めていると、朝早くから登園してきて、その様子を心配そうに見つめていたHちゃんが一言... 「おトイレ・・・きげんわるいの?」  トイレの調子が悪いとは言いますが、機嫌が悪いとは、なんて素敵な表現なのでしょう!まるで、トイレに人格があるようです。人格があるからこそ、機嫌が悪いこともあるよね。トイレにも、尊厳の気持ちをもって接してあげましょう。「トイレの神さま」という歌もありますしね...。そんなことを連想させてくれました。  朝、保育室に入る前に、必ずスタッフルーム(職員室)に寄って、私やままさんに甘えてから、保育室での生活に入ることをルーティーンにしているお子さんが何名かいます。(必ず寄って甘えることで、心を落ち着かせられる場があるという意味では、スタッフルームも結構役に立っているようです。)そんなお子さんのひとり、Yちゃんが、ある朝、自分の右足の薬指と小指の間を気にして、ボリボリと掻いています。見ると、皮膚の皮が一部分剥がれているのです。すると、Yちゃんは、皮膚の剥がれたところを私に見せながら... 「ねえ、ぱぱさん」 「何?」と私、真顔のYちゃんは、 「Yねえ、おとなになってきたみたい」  そしてかすかに笑いました。  たぶん、Yちゃんのお家では、大人の誰かが同じようになっていて、それを掻いているのを見ているので、今度は自分が同じ状況になった時に、思わず出てきたセリフなのでしょうね。大人になるってことは、パッと何か見えないものが見えてくるとか、出来ないものが出来るようになるといった、右肩上がりの出来事だけでなく、見えないけどやるしかないとか、割り切れないけど受け入れるしかないといった、言わば右肩下がりの側面もありますよね。そのようなほろ苦いことでも、よしとしようといった意思は、正に大人なのではないかと思いますが、Yちゃんは自分の身に起きた現実を、迷いの中で受け入れるという「大人の境地」を垣間見たのでしょうか。いずれにせよ、「大人になるって、どういうこと?」という、若人なら誰でも悩む命題に対して、非常にユニークな切り口で、...

2021/06/01(火) タポンタポン

イメージ
  この写真をご覧ください。子ども広場での一コマで、バケツの中に泥を入るだけ入れて、その感触を楽しんでいる、つぼみ組(4歳クラス)のお子さんの姿です。  泥遊び、家庭では、なかなか体験できない遊びですね。写真からも、その楽しさが良く伝わってきます。右側に写っている女の子は、バケツの中の泥を、その可愛らしい掌で、優しく撫でるような叩き方をしながら、こんなことを呟いたのでした。  「パパのおなかみたい・・・」まるで、本当のパパのお腹を触るような手つきが印象的でした。バケツの上に表面張力で盛り上がっている泥は、彼女が叩くたびにタポンタポンと震えました。水と泥の調合が絶妙なのか、タポンタポンはけっして決壊せず、本物のお腹、それもちょっと太めのお父さんのお腹そのもののように、私にも思われたのでした。真に「言い得て妙」でした。  泥とお腹に共通することがあることを発見した、彼女の感性が素敵です。この感性は、「謎かけ」という日本古来の知的な遊びに通じるものがあると思うのです。  どろんこ遊びとかけて、お父さんのお腹と説く。その心は、どちらも叩くと「タポンタポン」  「まったく異質な二つのものの中に存在する同質を見抜く力」は、とても高度な能力で、素敵なことだと思います。こんなことも、遊びの中で手に入れていくのですね。「遊び」を大切なものととらえて、「遊びこめる」環境づくりを考え、整えていきたいと思います。