2020/01/10(金)「落穂拾い」

 2020年明けましておめでとうございます。







 さて、この絵画、ご存じでしょうか?ジャン=フランソワ・ミレーが描いた作品で「落穂拾い」です。この作品は、農民が広々とした大地にて落葉を拾っている、どこか心温まる風景画として知られています。しかし実際には、ほのぼのとした雰囲気とは裏腹の、厳しい生活を強いられていた、そういった農婦たちの働く姿が模写されている、というのが真実のようです。



 実は、この3人の農民は、この畑の持ち主ではないのです。それどころか、小作人でさえもないのです。では、この3人が、いったい誰なのか?というと・・・この畑とは全く関係ない、普通に食べていくのも苦しい、近くの貧しい住民なのです。要は、他人の畑に入って、刈り入れられずに落ちた穂を拾って、それを日々の糧にしよう・・・そうやって、生きるだけでも必死の人々の姿がこの絵に表されているのです。ミレーの落ち穂拾いが、ただならぬ哀愁を感じるのは、そう言う理由です。



 でも、ここで、疑問が湧きます。「いくらなんでも、他人の畑に入って、落ちた穂を拾うのは、泥棒ではないのか?」と。日本人なら当然思う感覚だろうと思います。でも、キリスト教的な思想を知っていれば、その謎も解けます。実は、聖書には、「全て刈り入れてはなりませんよ。落ち穂やオリーブやブドウも拾ってはいけません。残しておいた落ちた穂やオリーブやブドウは、在留異国人や、みなしご、やもめの者の方の為に分け与えなさい。」と書いてあるのです。この聖書の思想は当時の人々の常識でした。「貧しい人々も生かされている。」ミレーはそれを描きたかったのですね。



 私自信も、実は、落穂を拾わせていただいたおかげで、何とか生かされている人間だと思っています。自分の力ではなく、偶然のチャンスと周りの皆さんのお力添えのおかげで、こうして保育園を建てさせていただいて、生かされているという実感です。



そんな私ですから、どちらかといえば、すぐに思い通りになるような人よりも、思い通りにならないで「もがいている」ような人が好きです。そのような人は、心の痛みが理解できる優しい人になることでしょう。そして、いつしか自分が生かされている感覚を味わうことでしょう



 スタッフであっても園児さんであっても、「他の保育園では芽が出なかったけど、さくらそう保育園では生かされている」、「最後にさくらそう保育園があって良かった~」、そういう保育園になれたらいいなぁと思っています。



 今年もよろしくお願いします。

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