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気まぐれコラム引っ越しのお知らせ

 ホームページのリニューアルに伴い、今後の気まぐれコラムは新しいホームページ内で更新してまいります。 これまで掲載していたこちらの記事も引き続きご覧いただけます。 新しい気まぐれコラムはこちら https://sakurasou-hoikuen.com/blog/column 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2026/08/03(月) 子どもなりの表現 by ぱぱ

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 『むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、 ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと~』 こちらは劇作家、小説家の井上ひさしさんの言葉です。なんど読んでも、なんど噛みしめても、深い含蓄にあふれる言葉のように思います。  さて、2歳児クラスのある女の子のお話です。保育園の階段の手すりのスリットの部分に、自分で丸めた広告紙が偶然引っかかって止まりました。その状態を見つめながら驚いたような声で、何度も、こう表現したのです。 「かたまった・・・」 別の2歳児クラスの男の子は、ゴム系ボンドが写真の状態から、何らかの力が加わって横に倒れました。その時の様子を次のように表現しました。 「おちた・・・」  2歳児の限りある語彙力のゆえに、ひねり出したこれらの言葉なのでしょうが、引っかかって止まったとか、横に倒れたとかという表現よりも「言い得て妙」だと思いませんか。私には、「むずかしいことをやさしく」の香りが感じられます。  子どもの書いた絵も、然りのような気がしています。  まだ不器用な手つきゆえの、味わい深さ、やわらかさ、優しさが溢れているように思います。私には、「ふかいことをゆかいに」表現しているように思えます。  お子さんなりの表現を受け止め、楽しめたらいいなと思います。そのためには、「のんびりした保育」が望まれますね。「せかす保育」では、これらの表現を汲み取ることはできなくなってしまいますから。

2026/07/16(木) けなげな姿 by ぱぱ

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 あるお子さんのお話です。  保育園で、午前中に、たくさん身体を動かして、お昼に、給食をたっぷり食べると、当然、眠気がやってきますね。というわけで、お子さんたちは、午後になると、そろって夢の世界に入るのです。  しかし、このお子さんは違いました。本人は、とても眠そうで、手や足は、あったかくなっています。これは、眠りに落ちる際に、身体の深部体温を下げようとする生理現象で、通常なら、このままコテンと寝てしまうところです。  それなのに、このお子さんは、このような状況になると、決まったように腹の底から叫び声をあげ、寝落ちを拒否するかのごとく、眠気に抗いだすのです。  その声は、保育園中に響き渡ります。みんなが起きる3時までは、まだ2時間くらいありますが、その分のパワーと持久力は充分備わっているようで、頼もしい限りです。中には、その響きで、目が覚めてしまうお子さんもいます。  あくまでも主観ですが、このような状況になる日は、休み明けの月曜日の確率が高いようです。  眠たければ眠たいほど抗うので、保育スタッフ同士で「なんでだろうね?」と首をかしげあっていました。  そんなある日の夕方、お迎えの時間に、お迎えのお母さんが現れると、お子さんは、その胸にしっかりと抱かれ、眠さにも負けずに、満面の笑みを浮かべていました。  お母さんは、我が子を指さしながら、保育スタッフに、こう尋ねたのです。「(うちの子)寝ましたか?」、保育スタッフは、残念そうに「いえ、寝ていません。」  すると、お母さんは、心から嬉しいといった表情で、お子さんの頭を、愛情たっぷりに撫でなでしました。お子さんも、幸せいっぱいの表情を浮かべていました。  これで、全ての謎が解けました。  お母さんとしては、お仕事で疲れて、やっとの思いでお家に帰ると、もうヘトヘトなのです。それで、お家では、「すぐに寝てくれないと、困っちゃう~」という事情があるのですね。  お母さんは、そのことを、我が子に正直にお願いしていたのでしょう。それで、お子さんも、お母さんに褒められたくて、大好きなお母さんの願いに応えようとして、あのような、けなげな行動をとっていたというわけです。  そんな、けなげな姿に焦点を当てたいと思って、その一点をお伝えしたくて、ここまで書いてきました。  決して、誰かを悪者にしようとか、本来はこうあるべきだとか、そのよう...

2026/06/29(月) 保育の適正利用にご協力ください by ぱぱ

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 今回は、「保育の適正利用」という、いつもとはちょっと違った内容で、お話ししてみたいと思います。「何をいまさら?」と感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、時には初心に帰ってみることがあってもいいと思いますので、少しだけ、お付き合いいただければ幸いです。  「保育の適正利用」とは、自治体が定めた支給認定(保育の必要性)に基づいて、家庭での保育が困難な日や時間帯に限って、必要な範囲で保育所等を利用することを指します。  厚生労働省の「 児童福祉施設の設備及び運営に関する基準 」の第34条によると、「保育所における保育時間は、一日につき八時間を原則とし、その地方における乳幼児の保護者の労働時間その他家庭の状況等を考慮して、保育所の長がこれを定める」とあります。  また、川口市のWebサイトには、よくある質問として、 幼稚園と比較した保育園についてのQ&A が掲載されています。 Q. 保育所と幼稚園の違いを教えてください。 A. 幼稚園は学校教育施設ですので、教育を目的としていますが、保育所は児童福祉施設であり、保護者に代わって乳幼児を保育することを目的としています。ですから、保育所には入所の基準があります。保護者が勤務等により児童の保育ができない場合や、出産・病気療養・病人の看護等により日中保育することができない場合に限定されます。  ということは、「保育園というところは、サービスではなく福祉事業を行うところであり、開いている間、自由に預けられるところではない」ということですね。あくまでも、保育の必要量(=家庭での保育ができない時間)に対して、お子さんをお預かりする施設だということです。  しかしながら、これ以上のこと、つまり「それでは、具体的に、どう利用すればいいのか?」ということについては、残念ながら、川口市のWebサイトには載っていないのです。  そこで、ここから先は、他の自治体が発行しているリーフレット等から、具体的な例を抜粋してみたいと思います。  川口市も他の自治体も、こども家庭庁の指し示すところに沿っていますから、さほど相違はないと思われます。  なお、各自治体とも、説明やお願いの最後は、「個々の家庭により、様々な事情があると承知しています。可能な限りのご協力をお願いいたします。」というニュアンスの言葉で締めくくられています。  これは、「家庭(お...

2026/05/14(木) 健康で幸福な人生を送るために by ぱぱ

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 5月14日(木)、登園して間もない時間に、年長さんの女の子が、この絵を描きました。このお子さんは、普段から絵を描くことが大好きで、カラーペンで描いていることも功を奏して、今回も、明るく可愛らしく仕上がりました。まずは、心の拠り所である「まま」を描くことで、安心感を得たようです。その後、彼女独自の世界が展開されます。「くねくねへび、れんが、てくてくくも、キャンディ」、どのキャラクターもユニークですが、特に「てくてくくも」は面白いですね。  私は、彼女からキャラクター名を聞いて、手書きで添えました。次に、彼女に「(キャラクターの下の絵の無い部分に、〇〇ちゃん自身の手書きで)〇〇ちゃんのなまえを、かいてもらえると、うれしいんだけど?」と、提案しました。すると、彼女は、「えっ」と小声でつぶやき、うつむきました。私は、彼女が、まだ、自分の名前を書くことができないことに気づきました。  ところで、小学校への入学を間近にひかえた、お子さんの中には、読み書きや算数などの小学校の勉強を、先取りしてやっている子もいるようです。そのため、そうでない、お子さんの保護者の中には、「うちの子にも、やらせた方がいいのかな…」と、不安になっている方もいらっしゃると思います。  でも、先取り学習で「得をした」ように感じられるのは、わずかな期間だけなのです。  2000年に、ノーベル経済学賞を受賞した、ジェームズ・ヘックマンは、「幼児期に、『遊び』を通して自主性を重んじる教育を行うことが、将来、生活保護の受給率や逮捕率を下げ、学歴を高くし、健康で幸福な人生を送ることにつながる。逆に、勉強をさせた子には、このような生涯にわたるプラスの効果は得られない。」という研究報告を行っています。私は、この結果は、傾聴すべきことだと考えます。  つまり、保育園や幼稚園で、いっぱい遊んでおくこと、「遊びを通して、様々なことを学ぶ」教育を行うことが、生涯にわたって健康で幸福な生活をするために重要なのです。  少なくても、保育園に在籍している間は、「字を覚えさせることよりも、イマジネーション豊かに想像の世界を楽しむこと、そんな今を保証することの方が、何よりも大切である」という事実に、目を向けるべきではないかと思います。将来、生活保護の受給率や逮捕率を下げ、学歴を高くし、健康で幸福な人生を送るために…。

2026/04/28(火) 聖書の話(1) by ぱぱ

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  気まぐれで、すみません。隠れキリシタン(?)の私が、突如、聖書のお話をしたいと思います。 [ルカによる福音書 13:6~9] そして、イエスは、次のたとえを話された。「ある人が、ぶどう園に、いちじくの木を植えておき、実を探しに来たが、見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう、三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから、切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』 園丁は、答えた。『御主人様、今年も、このままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は、実がなるかもしれません。もし、それでもだめなら、切り倒してください。』」  ぶどう園の主人は、3年前に植えた、いちじくの木が、少しも実をつけないので、園丁に「切り倒すように」と命じています。その命令に、園丁は、「この木を、もう一年、育てさせて欲しい」と頼みました。この時代、ぶどう園に、いちじくの木を植えることは、よくあったそうで、お金になる、ぶどうの木は、大切に育てられましたが、安い値段にしかならない、いちじくの木は、ほったらかしにされることが多かったようです。  値打ちのあるものは、大切にされるが、そうでないものは、見向きもされない、これは、当時の社会が、当たり前に持っていた価値観でした。この価値観は、現在も、それほど変わっていませんね。多くの場合、人間の目から見て、ダメに見えるものや、ムダに思えるものは、切り捨てられてしまいます。たとえ、それが、人の場合でも、おかまいなしに切り捨ててしまう、悲しい現実です。  この価値観に対して、イエスは、「ムダな木は切り倒せ」という主人に対して、園丁を登場させて、「私に、もう一年、世話をさせてください」と言わせるのです。イエスは、「どの人も、受けとめられて、大切に育てられれば、実をつけることができる、光り輝く存在になれる」と語っているのですね。  このお話は、「神様は、すぐに失敗したり、結果が出なかったりする人に対しても、忍耐強く、再チャレンジのチャンスを与えてくださる」という愛のメッセージです。「忍耐強く、再チャレンジのチャンスを与えてくださる」ということは、「結果ではなく、経過を喜んでくださる」ということでもあります。木の周りを掘って、肥やしをやるという神の愛に、自分なりに応えていく...

2026/04/01(水) 入園式 あいさつ

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株式会社プリムラ 代表取締役(保育士) 柿原 雄司  ご入園、おめでとうございます。さくらそう保育園は、「お子さんを、保育園に合うように変えるのでなく、保育スタッフが、お子さんに合わせて変わる保育」を行っていますので、安心して、お預けください。  ご家庭でも、お子さまを変えるのでなく、可能な範囲で、保護者のみなさまの考え方を変えてみると、いいかしれません。  例えば、「お子さんが、保育園を嫌がる」ということは、「それだけ、お子さんが、誰よりも、お家の方々を愛している」ということですから、決して悪いことではないと思います。「わたしたちは、我が子に、こんなに愛されて幸せだわ」というように、考え方を変えてみると、いいと思います。  例えば、「園に慣れるのに、時間がかかってしまう」ということは、「そのお子さんには、『慎重』という賜物が与えられている」ということです。「この子は、生まれながらに、身を守る術が備わっているのね」と、考え方を変えてみると、いいと思います。  下記のWebサイトでは、同じように、「一見、マイナスに見えるが、実は、プラスな性格」が一覧になっています。 こうして言い換えよう!リフレーミング あきっぽい ⇔ 好奇心旺盛 あきらめが悪い ⇔ 粘り強い 甘えん坊な ⇔ ひとなつこい あまのじゃく ⇔ 個性的 あわてんぼう ⇔ 行動的な いいかげん ⇔ こだわらない 意見が言えない ⇔ 争いを好まない 意地を張る ⇔ しっかり者 いたずら ⇔ こまめに動く いばる ⇔ 自信のある 陰気 ⇔ 調子に乗らない 浮き沈みが激しい ⇔ 心豊かな うるさい ⇔ 明るい・活発な 上っ調子 ⇔ 明朗快活である えらそうな ⇔ 堂々としている 臆病 ⇔ 慎重 おこりっぽい ⇔ 情熱的な おしゃべりな ⇔ 社交的な・活発な おせっかいな ⇔ 親切な・気が利く 落ち着きがない ⇔ こまめに動く おっちょこちょい ⇔ 決断が早い おっとりした ⇔ 落ち着いた おどおどしている ⇔ きちんとしている おとなしい ⇔ 穏やかな お人好し ⇔ やさしい 面白みがない ⇔ きまじめな かたい ⇔ 礼儀正しい かたくるしい ⇔ 意志が強い 勝ち気な ⇔ 向上心がある カッとしやすい ⇔ 情熱的な 軽はずみ ⇔ 気軽にものごとを かわっている ⇔ 個性的な 考えが浅い ⇔ 率直な 頑固 ⇔ 意志...

2026/03/31(火) どうにかいっしょにやっていこう by ぱぱ

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 2025年度も、本日でおしまい、明日からは、新しい年度になります。  さて、3/27(金)の「折々のことば」が、目にとまりました。「D どうにか I いっしょに Y やっていこう」、「何でも一人でと構えずに、仲間と手を携えて潜(くぐ)り抜けよう。頼りにしあえる人がいれば、少々ダメなところがあっても何とかなる。いざという時に当てにできる人がいる人は勁(つよ)い。」  私自身は、イソップで例えれば、「アリとキリギリス」のキリギリスそのもののような気がします。ウクレレやギターで、歌を歌うことくらいしかできませんから…。でも、私がチャラチャラしている、その横で、保育園の優秀なアリさんたちは、日々、園児さんや保護者のみなさまの機微に触れて、報連相を密に取り合い、平和をつくり出すべく、最善を尽くしているのです。  また、あるアリさんは、私にはちんぷんかんぷんなインターネット関係のみならず、渉外関係まで引き受けてくれています。毎日、美味しい給食を作ってくれるアリさんもいます。お掃除を頑張ってくれているアリさんもいます。  実は保育園の外にも、協力してくれるアリさんはいっぱいいて、労働規則関係、税務管理、園舎修繕と、多岐にわたっています。そして何より、国や県、市の公務員アリさんとは、日々協力し合っています。 「頼りにしあえる人がいれば、少々ダメなところがあっても何とかなる。いざという時に当てにできる人がいる人は勁い。」 この言葉をかみしめたいと思います。  1年間、ありがとうございました。来年度も、よろしくお願いします。

2026/02/10(火) 一本の線 by ぱぱ

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      福音館書店の「いやいやえん」でおなじみの作家、故中川李枝子さんの息子さんである、1960年東京都生まれの中川画太(かくた)さんの講演会に行きました。とてもステキな方でしたよ。  画太さんは、「いやいやえん」のモデルとなった、東京都世田谷区の無認可保育所「みどり保育園」のベビーベッドの上が、人生のはじまりということでした。  小さい頃は、毎晩寝る前に、ご両親から必ず本の読み聞かせを受けたそうです。そんな経験が、今日の画太さんを形作っていったのでしょう。その後、東京造形大学造形学部美術学科を卒業し、現在、「えかき小屋かくた」で、幼児から成人まで、絵画指導をしながら、自らの制作活動を続けているということでした。そんな画太さんの講演のお話から、個人的に、心に残ったことを書いていきたいと思います。 「絵で一番いいのは、実際には起こりにくい、あるいは、起こらないようなことでも、表現できることだと思います。自分の考える理想を、絵なら描くことができるのです!」  その通りだと思いました。生き方や考え方が違う者同士でも、絵であれば、一枚のキャンバスの中に描くことができるのです。戦争がない世界、みんながなかよしの世界、そんな絵を描くことができるのですね。また、過去と現在と未来という、時空を飛び越えた表現をすることもできます。たとえば、力道山と長嶋茂雄さんと大谷翔平さんを、一枚のキャンバスに描くことができるんですね。 「一番、抱きしめたくなる絵は、幼い子どもが描く、ただの一本の線の絵だなあ。でも、そこには意味があるんだよ。」 「この線何?」と聞くと、子どもは、「これは、かいじゅう。」、「こっちの線は?」、「ひこうき。ひこうきから、こうせん(光線)がでて、かいじゅうは、だいばくはつ!」 「最終作品としては、グジャグジャの線の絵なんだけど、そこに至るまでの物語が詰まっている、そんな絵は、思わず抱きしめたくなるよね。」  画太さんは、見えるものではなく、見えない、あるいは見えにくいものに、焦点を当てることができるのですね。グジャグジャの上書きの前に描かれた、一本の線。それは、グジャグジャに描き消されてしまっているように見えるけれど、見えなくても、あるんですよ。一本の線は、怪獣であり、飛行機であり、光線であり、爆発した炎と煙でもある。一本の線は、無限の可能...

2025/12/24(水) 平和 by ぱぱ

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   前回のコラムでは、料理家の土井善晴先生の「和える」ということを取り上げてみましたが、今回は、その続きです。  先生は、「和えると混ぜるは違う。混ぜるということは、全部を均一にしてしまう。そして、混ぜすぎると、素材を傷つけてしまう。和えるというのは、混ぜ切らないからこそ、むらがあって美しいし、それぞれの素材の味が活きてくるんです。だから、あんまり混ぜんほうがいい。」とおっしゃっています。  この「むら」という言葉も、素敵だなあと思います。和食には、「むら」があるからこそ、美しいのですね。「むら」があるからこそ、素材それぞれが活きてくるのですね。  このように、「一見、ネガティブに見える事象ではありますが、実は良いことかもしれませんよ」というようなものを発見するのが、とても好きです。  ググったら、こんなのが出てきました! ステキなので、最後に引用して、紹介します。これは、「一見、ネガティブに見える性格ではあるが、実は良いことかも」一覧と言い換えることができると思います。    こうして言い換えよう!リフレーミング (厚生労働省 ハローワーク)  今年も、お世話になりました。2026年、平和を作り出していけますように…。 「一見、ネガティブに見える性格ではあるが、実は良いことかも」一覧 あきっぽい ⇔ 好奇心旺盛 あきらめが悪い ⇔ 粘り強い 甘えん坊な ⇔ ひとなつこい あまのじゃく ⇔ 個性的 あわてんぼう ⇔ 行動的な いいかげん ⇔ こだわらない 意見が言えない ⇔ 争いを好まない 意地を張る ⇔ しっかり者 いたずら ⇔ こまめに動く いばる ⇔ 自信のある 陰気 ⇔ 調子に乗らない 浮き沈みが激しい ⇔ 心豊かな うるさい ⇔ 明るい・活発な 上っ調子 ⇔ 明朗快活である えらそうな ⇔ 堂々としている 臆病 ⇔ 慎重 おこりっぽい ⇔ 情熱的な おしゃべりな ⇔ 社交的な・活発な おせっかいな ⇔ 親切な・気が利く 落ち着きがない ⇔ こまめに動く おっちょこちょい ⇔ 決断が早い おっとりした ⇔ 落ち着いた おどおどしている ⇔ きちんとしている おとなしい ⇔ 穏やかな お人好し ⇔ やさしい 面白みがない ⇔ きまじめな かたい ⇔ 礼儀正しい かたくるしい ⇔ 意志が強い 勝ち気な ⇔ 向上心がある カッとしやすい ⇔ 情熱的な 軽...

2025/12/01(月) 人の場合も、あんまり混ぜんほうがいい by ぱぱ

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  料理研究家の 土井善晴先生のX に、目が留まりました。先生曰く、 「和食の場合は、あんまり混ぜんほうがいい。味にムラがあることが、おいしさなんだと。混ぜたら、たいていのものは汚くなる。絵具を何色も混ぜると、グレーになるように。『和える』と『混ぜる』は、ちゃうんや…。」  ググっていくと、土井先生と政治学者の中島岳志先生の対談を活字化した本に、あたりました。   以下、「 料理と利他 」からの引用です。 土井先生 「…それから、和食では、混ぜるではなく『和える』といいます。素材を混ぜず、それぞれの存在感を尊重する。西洋には、ケーキのように、液体と粉を混ぜ合わせて、まったく別のものを作り出す食文化があります。これは、科学的と呼べるのかもしれませんが、和食の場合は違います。」 中島先生 「土井さんは、料理番組で、よく『あんまり混ぜんほうがいい』とおっしゃいますね。味にムラがあることが、おいしさなんだと。」 土井先生 「混ぜたら、大抵のものは汚くなります。絵具を何色も混ぜたら、グレーになるように…。たとえば、ポテト・サラダでも、むやみに混ぜないで、『あ、いま美しい』という瞬間で止めるのが、一番おいしい。混ぜすぎると、雑味になったり、浸透圧が働いて水が出てきて、雑菌によって味を落としたりする。和食は、特に、いつも変化する最中の『この瞬間』を食べているんです。」  子どもだって、混ぜ過ぎたら、個性がつぶれてしまうような気がします。和える程度が、いいのではないでしょうか? 「子どもに、命令という形で指導することを、混ぜる和食」と例え、「子どもに、提案という形で指導することを、和える和食」と例えてみたいと思って、書いてみました。  いかがでしょうか?

2025/10/30(木) 猫と子ども by ぱぱ

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   著書「バカの壁」がベストセラーになった、解剖学者の養老孟子先生のYouTubeが面白いので、ご紹介したいと思います。   【養老孟司】愛猫の「まる」が死にました。   その悲しさと寂しさを養老先生がお話します。  飼い猫の「マル」のことを話題にしていますが、猫と子どもの共通点ということで、子どものことを、こんな風に語っています。 「子どもは、赤ちゃんを見れば分かりますけど、完全に自然状態で生まれてくる。それを人の社会に適応させていくわけで、それを教育って言ってはいるけど、そこのところで、人の社会の方に徹底的に適応させるかどうかっていうのは、悩ましいところですね…。」  教育を一言で言い表していて、すごいと思いました。養老先生は、自然と人工の境目に興味を持っておられるようです。そして、人工である、人の社会の方に徹底的に適応させることへの危惧を感じています。 「社会での成功っていう意味でいうと、小さい時から人の社会にならしていく方が有利ですよね。でも、本人の幸せという点からいうと、どうなのかなぁ。いくら成功しても、最終的には、やっぱり年を取りますし、そうなってくると、自然に対する心構えみたいなものが、どうしても必要になってくる…。」  社会での成功といった側面と、本人の幸せといった側面と、ふたつの考え方があり、前者は「人工」を優先することになるのだろうが、後者は「自然」を選択することになるのではないかと述べています。そして、後者のことも、もう少し大切にした方がいいのではないかという提案が、透けて見えてきます。 「子どもが幸せ感じるのは、どういう時かって、やっぱり、それ程束縛されないで、自由に遊んでいる方が、幸せに違いない…。」  その通りだと思います。好きな遊びに夢中になっている子どもの姿は、とても美しいと思います。 「子どもは、すでに、ただ今現在、幸せかどうかってことが、ものすごくはっきり分かる。加えて、子どもは、わざわざ、不幸せな方向へ行くようなことはしない。でも、大人は、『辛い時でも、辛抱すれば、後でいいことがあるから…』みたいな教え方をするから、大人になると、つい頑張っちゃうんですよね。大人は、『みんなで、適当なところで、やめておこうよ』っていうのは、なかなかできない、難しい。一方、子どもっていうのは、具合が悪くなると、消えちゃうんですよね…。」 ...

2025/09/30(火) ぐじゅぐじゅの未熟が大事 by ぱぱ

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  2017年4月2日に掲載された、朝日新聞「折々のことば 子ども編」を載せます。すべてがキュートで詩的なので、そのまんまなぞりますね。   よのなかは 〈こども〉と〈もと こども〉で できている 富安陽子  元はみな子どもであった。どんな子どももいつかは元子どもになる。というか、人はおとなになっても内に子どもを宿している。どどっと感動する力、凄まじい好奇心と集中力、微細な変化を見逃さない感覚のアンテナは、芸術や科学に必要な資質でもある。干からびた成熟ではなく、ぐじゅぐじゅの未熟が大事。これが文化を突き動かす。 童話作家の絵本『もと こども』から。 鷲田清一  マルチタレントの大御所、御年67歳の「みうらじゅん」さんのことを、アナウンサーがラジオの中で紹介したとき、みうらじゅんさんは、「ちょっと間違いがあります。僕の年齢は、ご紹介の通り67歳ですが、そのあとに『児』をつけてください。『67歳児のみうらじゅん』が正しいです。」と語っていたのを思い出しました。  素晴らしい気づきだと思います。人は、おとなになっても、内に子どもを宿しているのですね。  言い方を変えれば、子どもは、内にも外にも子どもを宿しているのですから、実にぐじゅぐじゅです。保育園では、今日も、お昼過ぎ頃に、何が障ったのか、満身の力を込めて泣き続けている女の子がいました。制御不能な、その泣き方は、まあ、あっぱれ見事で、お友だちが、心配して近づこうとしていましたが、とんだとばっちりを受けたとか、受けなかったとか…。でも、大丈夫、その女の子は、体内のエネルギーを全て排出し、今は、スヤスヤと、ほとけ顔で、お休み中! 「ぐじゅぐじゅの未熟が大事。これが文化を突き動かす。」  さくらそう保育園にいる、未来の芸術家や科学者が、将来、才能という花を咲かせることができる、平和な世の中が続きますように…。

2025/09/02(火) 適材適所 by ぱぱ

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   先日、栃木県足柄市の「ココファーム&ワイナリー」という、ワインの醸造所に行き、とっても美味しいワインとお食事をいただきました。今回は、このワイナリーのお話をしたいと思います。  昭和30年代に、川田 曻さんという、中学校の特殊学級の先生が、当時の生徒たちと開墾した急斜面のぶどう畑が、ワイナリーのもとになっているそうで、平均斜度38度のこの葡萄畑は、陽あたりや水はけがよく、葡萄にとっては最良の条件なんだそうです。  しかし、斜度38度ということは、耕運機やトラクターが使えず、人間の足で登り降りするしかないことを意味します。剪定後の枝拾いや、堆肥の運び上げ、一房一房の摘房、そして、収穫した葡萄のコンテナ運び…。全ての作業が、自然の中での労働を通して、自らの力をつけ、その力をもとに、自然の恵みを引き出していくということでもありました。  そんな毎日の暮らしの中で、知的障害のある少年たちは、長い時間をかけて、知らず知らずのうちに、寡黙で実直な農夫に、陽に灼けた葡萄畑の頼もしい守護人に、醸造場のかけがえのない働き手になっていきました。  そのような方々が属する組織は、現在、「こころみ学園」という学校になっています。学園生は、100名以上ということで、ほとんどの方が、最重度のハンディキャップを持ち、約半数の方々が、高齢者ということでした。重い障害を持ちながら、また、高齢のために車椅子で過ごしながら、みんなが、何らかのかたちで、ワイン作りに携わっているそうです。  「ココファーム&ワイナリー」は、伝統や名声を誇る外国のシャトーのように、潤沢な資金を持つことができません。大手のワインメーカーのように、大量生産することもできません。 しかし、葡萄を育て、ワインを醸す仕事に、自分の名前さえ書けないような人たちが取り組んできたことを、どんなに辛くても、一年中空の下で、がんばってきた農夫たちがいることを、ひそかな誇りに思っていると思います。  学園生一人ひとりに、それぞれの能力に応じた仕事を見つけ、従事していただく、たとえ、それが草取りや、石拾いや、カラス追いであったとしても、その仕事をしながら、自然に囲まれながら、安心して年をとっていけたらいい、そんな願いも込められているとのことでした。  オールマイティを求められて、それに応えようと必死にもがいたものの、結局、苦しいだけで...

2025/07/30(水) 怪談つくり by ぱぱ

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  ままさん(園長)と子どもたちのやり取りの中から、素敵な作品が生まれましたので、お伝えします。  ある日のSくん、「ねえ、ままさん、こわ~い おはなし、して~」  ままさんが、「いいよ。むか~し、むか~し…」と、抑揚をつけて、ゆっくり語り出すと、Sくんは、応答するかのように、「あかい ようふくの~…」と、語り始めたのでした。  ままさんが、間に入って書き取ったのが、(1)の作品です。 (1) 赤い洋服の、髪の毛が真っ黒な女の子、目も真っ黒で、目から、ちょっと血が垂れている…。  その家に行くと、床に本が、たくさん落ちていて、その本を、ひろって読んでしまうと、呪われてしまう…。  そして、その家から、出られなくなってしまうのだった…。  ままさんに喜ばれて、気をよくした、才能あふれる、Sくんは、続けて… (2) 名前のない、お化けが、四角の世界で、子どもたちを追いかけている…。  捕まると、その場で食べられてしまう…。  すると、子どもたちは、おしっこになって、よみがえり、おしっこ人間となる。  おしっこ人間になった、子どもたちは、武器を持ち、他の子どもたちを仲間にして、全てを壊し、元の世界に戻ることができた。  これは、おしっこをしたくて、目が覚めた時の夢のおはなし、気がつくと、おしっこが漏れていた…。  その様子を、面白いと感じた、Oくん、Iくん、Yくん、Kくんは、感化されて… (3) プリンセスと、王子さまが、キスをした。王子さまは、プリンセスに、指輪をあげた。  すると、プリンセスは、裸になった。そして、警察の服に着替えた。  王子さまも、裸になった。そして、泥棒の服に着替えた。  泥棒の王子は、逃げたが、警察のプリンセスは、泥棒を捕まえて、逮捕した。  そして、二人で、幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし。  素晴らしい才能を感じずには、いられませんね。その突拍子もない展開は、大人では、到底、考えつくことが、できないんじゃないかと思います。  (2)と(3)は、いわゆる「落ち」があり、(3)は、やや強引というか、常套句的な結末では、ありますが…。  (2)は、実際に、Sくんが夢で見た経験が、ベースとなっているに違いありません。いわゆる、自伝的怪談ですね。  これらこそ、クリエイティブな遊びと、いえるのではないかと思いました。  ちなみに、冒頭...

2025/06/30(月) 無邪気な子ども by ぱぱ

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  2025/6/26の朝日新聞朝刊のコラム「折々のことば」からです。  反田恭平さんは、1994年9月1日に生まれた、ピアニスト兼指揮者の方です。2012年、高校在学中に、日本音楽コンクールで第1位に入賞後、2021年10月、第18回ショパン国際ピアノコンクールで、なんと、日本人として51年ぶりに第2位に輝いたのだそうです。  そんな、天才反田恭平さんの本質を見事についた、先生の言葉が、「折々のことば」に載っていました。 「あなたの本当の核は無邪気な子どもでしょう。童心に帰ってピアノを弾いてみなさい」 「失敗してもやり直せる、だから縮こまるな、自分を偽るな」  この言葉が、天才を生んだのですね。  さくらそう保育園の子どもたちは、実に無邪気です。まあ、日々、失敗を気にせず、繰り返しているようですが、よく見ると…。つくる天才、かく天才、うたう天才、うごく天才、しゃべる天才、見てる天才etc…。いろんな才能が、在籍しているように思います。  そのまんま大人になれれば、どんなに楽しい未来になることでしょう。その点、我々、平凡な大人は、いけませんね。「戦争も、やむを得ない、原発も、やむを得ない」なんて言い出したりして…。

2025/05/14(水) 小学校1・2年生の通知表の廃止 by ぱぱ

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2025年5月13日(火)の朝日新聞朝刊の天声人語を紹介します。      岐阜県美濃市の小学校では、1年生と2年生の通知表が、廃止されることになったそうです。子どもの学習状況や生活の様子を評価する通知表ですが、それがあることによって、劣等感を感じて自信や意欲を失ったり、仲間関係に序列ができたりしないようにすることが、大きな目的のようです。この記事によると、5年前に、神奈川県の小学校でも、同様の取り組みがあったことが記されています。  東海テレビは、その取材で、「特に、保育園や幼稚園から小学校に上がったばかりの子どもたちに、勉強への苦手意識や劣等感を抱かせないようにする狙いがある。」と述べています。また、東海テレビは、1・2年生の保護者にインタビューした結果を、「1・2年生のうちは、元気に学校に行ってくれれば、それでいいと思う。また、一生懸命やっているのであれば、それが、その子のやり方なので、成績で評価してもらわなくても、それで十分だと思う。」としています。勿論、賛否両論あるようです。  注目したいのは、この取り組みが、あくまでも、小学校1・2年生に限定したものであるということでしょう。保育園や幼稚園で、のびのびと育ってきた子どもが、小学校1年生になったとたんに、勉強をさせられているような感覚になり、さらに、そこに評価が加わることで、劣等感や優越感を抱くことになり、序列化につながってしまいます。そうなると、学校への不適合を起こす子どもたちも、出てきてしまいます。低学年については、「通知表で評価することに、そこまでの意味は、ないのではないか?」と問う取り組みなんだと思います。  保育園や幼稚園の年長児と、小学校1・2年生の児童との、かけ橋の問題とも言えますね。私は、かつて、「年長児は、できるだけ早く、1年生化することが望ましい」という空気を感じていました。でも、今は、「小学校1・2年生の児童を、年長児に合わせていく」という方向で考えてくれているようです。これには、私も、大賛成です。私は、「このような取り組みが、全国で行われるようになればいいな」と思っています。  「のんびりいこうよ」  

2025/04/22(火) 不合理なことには距離を

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 毎度で恐縮ですが、2025年3月12日の朝日新聞朝刊から、ご紹介します。  我が子が、はじめて言葉を話した日から、はじめて嘘をついた日までの記録。精神科医、翻訳家の阿部 大樹さんの新著「now loading」(作品社)は、そんな区切りを設けて、つづられた育児日記です。 「言葉で、やりとりが、できるようになると、書き記すこともできる」とスタート地点を決め、「真実だけではなく、うそについても、言葉で語れるようになった時、子どもは、うそのある世界、すなわち、大人と同じ世界に入って、生き始める」、「そこを終わりとしてみよう。」と思ったそうです。さすが精神科医、この切り取り方は、とてもシャープですね。阿部さんは、「うそのある世界は、大人の世界」と定義付けました。確かに、私たち大人は、人を利用したり、虚勢を張ったり、秘密保持を目的としたりして、うそをつきます。また時には、人に対して、相手を傷つけないように、おもんぱかる配慮の結果として、うそをつきます。結局、あとでばれて、気まずい思いを体験するのですが…。「はじめてのうそは、いつ?」というのは、とても興味深いテーマだと思います。  阿部さんのお子さんが、2023年1月29日、1歳3カ月で、初めてしゃべったのは、「バイバイ」という言葉でした。そして、同じ年の12月20日、おもちゃを探していたお子さんが、実際にはあるのに、「なかった!」と、うそをついたのです。それは、2歳2カ月になった時でした。「語彙が増えて、文法を習得してから、うそをつく」と思っていたので、「早いなあ。」と感じたそうです。  その11か月の間に、「ある」より「ない」を、「わかる」より「わからない」を先に覚え、何かにつけて「やだ」と拒否するようになったのです。阿部さんは、「大きくなったら、不合理なことには距離を置ける、自由な人になってほしい」と考え、物事を否定する我が子を肯定し、エールを送っています。  幸いなことに、さくらそう保育園の園児さんは、みんな「やだ」の天才なので、「不合理なことには距離を置く、自由な人」だと断言できます。保育士さんが、「給食だから、お部屋に入ってください。」と言っても、軽く一蹴して、「やだぁ!」 でも、私が、「じゃあ、○○ちゃんの給食、ぱぱさんが食べちゃおうかなあ。」と言うと、「やだ~。」と言いながら、お部屋に走っていきます。...

2025/03/13(木) すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる by ぱぱ

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  朝日新聞2025年3月8日(土)の夕刊から切り抜きました。「大学では、どんな学部が人気なのか」という疑問に対して、「『就職に有利にはたらき、すぐに役に立つ学部』を選ぶ傾向にある」と筆者は分析しています。面白かったのは、文系でも、学部や学科名に「情報○○」と付くと、受験生が集まりやすい傾向にあるとのこと。うまいこと言いますね。しかし、年を重ねると、当時は就職に役に立たないと思っていた、哲学や心理学、文学などを学ぶことに、意義を感じるとの記事でした。  同じ日のTBSラジオの番組で、話題になっていたことです。ある役者が、言っていました。「役者は、台本を記憶する能力が、極めて高いのです。役になりきるために、どんなに難しい専門用語も、すぐに記憶できます。しかし、演じ終えると、すぐに忘れてしまうのです。不思議なくらい、忘れるのが早い。そして、また次のお役の台本を覚えるのです。」 「すぐに役に立つ」ことのために、私たちは、日々、努力奮闘しているように感じます。日々の保育はさておき、その記録も、役所や業者とのやりとりも、監査で求められる書類の作成も、言わば「すぐに役に立つ」ことです。この作業のために、私たちは、どれだけの時間と労力を注いでいることでしょう。ところが、血と汗と涙の結晶である、これらの書類も、所定の期間が過ぎると、逆に、破棄しなければならないことになっているのです。「すぐに役に立たなくなる」のですね。 「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」、冒頭の朝日新聞記者の指摘は、「けだし名言ではないか!」と感動を覚えました。  話変わって、当園が掲げている、「自由保育の中で、主体性と思いやりを育む」という保育方針は、「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」の真逆だと思います。主体性と思いやりは、一朝一夕で獲得できるものではありません。日々の活動の中で、トライ&エラーを繰り返しながら、保育士の援助や、お友だちとのやり取りを通して、少しずつ、少しずつ、お子さまの中にしみこんでいくものです。もちろん、それだけでは成就しません。ご家庭や地域の力だって、欠かせないのです。  大人は、年を重ねると、当時は就職に役に立たないと思っていた、哲学や心理学、文学などを学ぶことに、意義を感じるということですが、保育園では、遊びの中で、人間の営みの根底にある、哲学や心理学...

2025/02/14(金) たくみな話術 by ぱぱ

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  ある日の夕方、2階さん(2~3歳児クラス)のFちゃんがやって来て、 「ぶらんぶらんしたい。」 「ちょっとだけやって」  私(ぱぱさん)の、両手の人差し指を鉄棒に見立てて、その人差し指にぶら下がってみたいと言うのです。私は、「Fちゃん、重くて、こりゃ大変」と思いましたが、「ちょっとだけやって」の言い方が、本当に申し訳なさそうなニュアンスだったので、「そこまで言うなら」と私は思い、「いいよ」  10秒間くらいでしょうか、両手の人差し指にかかるFちゃんの全体重を、歯を食いしばって支えました。  10秒後、Fちゃんを降ろすと、Fちゃんは、 「もういっかいやって~」  その言葉には、「とっても楽しかったです。もしも許されるのなら、もう一度だけ体験させていただけませんか。無理ならかまいません。」といった思いが宿っているように、思われましたので、私は「いいよ」と、今度は5秒で限界となってしまいましたが、彼女の思いを叶えて差し上げました。  するとFちゃん、今度は畳みかける口調になって、 「ず~っとやって」  最後の言葉は、「しめしめ」感100%でした。私は彼女に一本取られたのでした。  言い方のニュアンスは抜きにしたとしても、 「ちょっとだけやって」 「もういっかいやって~」 「ず~っとやって」  何て無駄のない、巧妙な言い回しなのでしょうか! まるでコピーライターが頭をひねって、何度も何度も推こうして、こしらえたキャッチフレーズのようです。  最初から、「たくさん、やってもらいたい」と言うと、断られることは分かっているので、そのことは隠しつつ、最初は少しだけ、仮に許されたのなら、二度目はもう少し風穴を開けて、それも突破出来たら、三度目は本心を! 「秘技、要求三段活用だぁ!」そんな風に組み立てているような気がしました。  なんて天才なのでしょう。未来が楽しみです。